4年ぶり3度目の聖地で、白星にあと1歩、届かなかった。北北海道代表の白樺学園は、下関商(山口)に延長11回サヨナラ負けした。2点ビハインドの4回表終了時点で、雷雨のため56分間中断。劣勢に下を向いてもおかしくない状況から、8回表に4番加藤隆舗右翼手(3年)の同点2ランで追い付いた。右腕2枚看板の河村説人(3年)が先発し5回3失点、6回から2番手で好投していた中野祐一郎(3年)が延長11回に力尽きた。

 ベンチで見守った先発河村の祈りは届かなかった。マウンドには6回から救援し、無失点の力投を続けていた背番号10中野がいた。3-3の延長11回2死二塁、打席には1人で投げ続けていた相手下関商のエース、8番森元。打球が遊撃手の頭上を越え、中前へ転がっていくのを目で追った。無念のサヨナラ負け。あいさつを終え、ベンチへ下がる途中で、そっと中野の肩を抱いた。

 「最後、2人で投げられて良かった」。昨秋はエースナンバーを譲るなど、常に切磋琢磨(せっさたくま)してきた、頼りになるチームメート。4回表終了後から雷鳴で中断した56分間を含み、午後4時24分から始まり同7時15分に幕を閉じた激闘を、ライバルと戦いきった。

 6年前、夢中で見つめたマウンドに河村は立った。喜びを88球に込めたが、甲子園は甘くなかった。

 09年春、センバツに出場した鵡川の応援団1400人の中に、河村少年はいた。地元、鵡川の学校の晴れ舞台。声をからし応援したが、いつの間にか目を奪われたのは相手チームの投手。当時花巻東のエース、西武菊池だった。最速152キロをマークし、9回1死まで無安打に封じる快投に「すごいとしか言いようがなかった」。あの時の菊池と同じように勝利だけを目指し、腕を振り続けた。4年ぶり甲子園の原動力の1人、192センチ右腕の夏は終わった。

 悲しみがナインを1つにし、夢舞台まで駆け上がった。昨年11月、野球部の遠征費を稼ぐためのアルバイト中の事故で渡部洸稀さん(当時2年)が亡くなった。活動は1週間、止まった。目の前で起こった悲劇に、ショックで練習する気になれない。そんな時、周東拓弥主将(3年)が呼び掛けた。「このまま、くよくよしていても仕方ない。あいつを甲子園に連れて行ってやろう」。生きている、野球ができる幸せをかみしめ、練習を再開した。

 8回に起死回生の同点2ランを放った4番加藤は「一致団結した」と振り返る。この日は好守備でピンチを乗り切る場面が再三あった。「洸稀に助けてもらった気がする。とにかく楽しかったよと言いたい」と河村。悲しい別れから272日、チーム一丸で勝利だけを見つめ、力を尽くした。

 北北海道勢は、4年連続の初戦敗退となった。だが、延長11回まで熱戦を演じた白樺ナインの姿は、すがすがしい余韻を球場に残した。「もっと甲子園で投げたかった」と河村。堂々と、胸を張って、聖地を後にする。【保坂果那】