もう、誰にも止められない。第97回全国高校野球選手権大会で、早実(西東京)のスーパー1年生・清宮幸太郎内野手が、2試合連続本塁打を放った。九州国際大付(福岡)との準々決勝の4回、内角直球を右翼ポール際にライナーで運んだ。1年生の大会2本塁打はPL学園(大阪)桑田以来32年ぶり。高校野球100周年の節目に、第1回大会で4強入りした先人たちに並んだ。19日の準決勝は、プロ注目右腕・佐藤世那(3年)を擁する仙台育英(宮城)と対戦する。

 高校野球100年の夏は、清宮のためにあった。4回、初球の内寄り低めのストレートを振り抜いた。「(バットの)先っぽだったんだけど、打った瞬間にいったと思った」。放物線を描いた3回戦の1号とは対照的に、弾丸ライナーで右翼ポール際にたたき込んだ。「今日は自分の形のホームラン。飛距離は出なかったけど、ライナーで入ることが多いので。先っぽだったり詰まっても入るのは理想とする形」と胸を張った。

 左手の痛みも、怪物ルーキーには関係なかった。初回の第1打席で内角の直球に詰まり、左手の親指付け根付近がしびれた。「硬式を始めたての頃は痛かったけど、最近はなかった」。恐怖心を覚えるどころか「また体の近くに来ると思った」と配球を読み切った。「素振りの時も痛かったけど、アドレナリンで頑張りました。打席に入ったら(痛みは)忘れてました。逆に力が抜けて良かったんですかね」と笑った。

 大舞台になるほど力を発揮する。入部直後のあいさつから異次元だった。他の1年生は「サポートを頑張ります」などと緊張気味に話したが、清宮だけは「中軸を打って貢献します」と言い、周囲の度肝を抜いた。宣言通りに迎えた初の甲子園。「一戦ごとに楽しめるようになって、力が抜けているから打てている」と1年生離れした感想を漏らした。

 自らのバットで、新たな歴史の1ページを刻む。早実は1915年(大4)の第1回大会でも4強に進出した。清宮は「100年前の方たちがいなければ、今の自分たちはいない。その方たちと肩を並べられた。早実にいて、これ以上うれしいことはない」と素直に喜びを表現した。だが、目標はさらに上にある。「肩を並べたからには、超えなければ100年前に逆戻りしてしまう気がする。超えられればいいと思います」と頼もしく話した。

 早実は「去華就実(きょかしゅうじつ)」を校是に掲げる。華やかさに走らず中身を重んじろという意味だ。伝統校の快進撃に騒ぐ周囲に流されず、地に足を着けてどっしりと戦い抜く。【鹿野雄太】