今夏限りの休部が決まっていたPL学園(大阪)が15日、初戦で強豪・東大阪大柏原に敗れた。来春の部員募集を行わないことは決定的で、再開時期も不透明。甲子園で春夏7度の優勝を誇るなど高校野球の歴史に大きな足跡を残した屈指の名門が、最後は部員12人での戦いで区切りを迎えた。
逆転のPL、KKコンビ…とてつもなく強かったPL学園の戦いを写真で振り返る。
62年春に初甲子園、「逆転のPL」原点となった78年夏初V
甲子園初出場は62年春
- 63年春、甲子園で力投するPL学園の戸田善紀
- 76年夏の甲子園で入場行進を行うPL学園の選手たち
78年夏、中京(愛知)との準決勝、高知商との決勝をともに土壇場での奇跡的な逆転サヨナラ勝利を挙げ「逆転のPL」と呼ばれた。以降も甲子園で数多くのミラクルを起こした
- 78年夏決勝 高知商戦の9回裏、逆転となる二塁打を放つPL学園・柳川。9回裏に2点差をひっくり返し優勝を飾った
- 78年夏決勝 優勝を決め喜ぶPL学園の選手たち
- 78年夏決勝 優勝したPL学園ナインは鶴岡監督を胴上げする(1978年8月20日)
81、82年にはセンバツ連覇
- 81年春2回戦 PL学園対東海大工 4番捕手として活躍した田淵
- 82年春準決勝 PL学園対横浜商 生還する松田
KKコンビで日本中を席巻、黄金期を迎える
甲子園デビューは83年夏。清原、桑田の1年生コンビを軸に優勝した。準決勝では夏春夏の3連覇を目指した王者・池田(徳島)に大勝、甲子園の主役が入れ替わった。KKコンビは3年夏まで5季連続甲子園出場を果たす
- 83年夏準決勝 池田戦で本塁打を放つPL学園・桑田。投手は水野
- 83年夏決勝 横浜商を破り、優勝し喜ぶ清原(右端)らPL学園の選手たち
- 83年夏、優勝メダルを首にかけたまま食事をするPL学園・桑田
84年夏、清原が享栄戦で1試合個人最多記録となる3本塁打。取手二(茨城)との決勝は9回裏に清水哲の奇跡の同点ホームランで延長戦に入るも10回に力尽きた
- 84年夏1回戦 PL学園対亨栄 3回表、PL学園・清原(右)本塁打を放ち生還。左は桑田
- 84年夏1回戦 PL学園対亨栄 6回表、PL学園・清原は本塁打を放つ
- 84年夏1回戦 PL学園対亨栄 9回表、本塁打を放ったPL学園・清原
- 84年夏決勝 取手二対PL学園 PL学園・清水哲が9回同点本塁打を放ち、延長戦に入る。投手は石田
- 84年夏決勝 取手二対PL学園 決勝で敗れたPL学園の選手ら
85年夏、東海大山形との2回戦を32安打、毎回の29得点の猛攻で勝利。宇部商(山口)との決勝は松山主将が劇的サヨナラ打を放ち優勝を飾った
- 85年夏2回戦 東海大山形対PL学園 1試合最多得点、毎回得点、両チーム最多得点・最多安打のスコアボード
- 85年夏2回戦 東海大山形対PL学園 9回に登板したPL学園・清原
- 85年夏決勝 宇部商対PL学園 9回裏、PL学園・松山がサヨナラ打を放ち優勝を決める
- 85年夏決勝 PL学園対宇部商 サヨナラ勝ちで優勝、バットを持ったまま大喜びする清原(中央)らPLナイン
- 85年夏決勝 PL学園対宇部商 優勝を決めたPL学園の中村監督は選手から胴上げされる
その後も数々の名勝負を演じた
87年には立浪、片岡、宮本、野村、橋本らを擁し、KKコンビも成し得なかった春夏連覇
- 87年春決勝 関東一高対PL学園 優勝が決まりマウンドでガッツポーズの橋本
- 87年夏決勝 PL学園対常総学院 春夏連覇を果たしたPL学園・立浪(中央手前)はナインと喜ぶ。中央奥は片岡
人文字はアルプスの風物詩だった
- 87年春決勝 PL学園対関東一 PL学園応援スタンドの人文字
94春、95年春夏は福留を擁し
- 95年夏1回戦 北海道工対PL学園 PL学園福留は5回に2打席連続となる本塁打を放つ
98年春は松坂擁する横浜に敗れ、優勝6度で通算58勝の名将・中村監督が勇退。夏に再び横浜と対戦し、延長17回の死闘の末敗れた
- 98年春準決勝 横浜対PL学園 横浜に敗れ、PL学園・中村監督(中央)が18年間務めた監督を勇退。試合後に整列するPL学園ナイン
- 98年夏準々決勝 横浜対PL学園 幕切れであいさつを交わす両ナイン。左端はPL学園・平石主将(背番号13)。左から3人目は横浜・松坂
その後も前田らプロ野球選手を輩出
- 06年春 PL学園対真岡工 完勝したPL学園・前田(左から2人目)らナインはアルプスの応援席へ笑顔でダッシュ
09年夏を最後に甲子園からは遠ざかり…
14年夏、野球未経験の校長が監督を務め、選手が試合を采配。大阪大会決勝で大阪桐蔭に敗れて涙を飲んだ
- 14年夏、大阪大会2回戦 PL学園対大阪府教育センター付 ベンチからサインを出す宇佐美(左)、右は監督の正井一真校長
- 15年夏、大阪大会準々決勝 大体大浪商対PL学園 惜敗したPL学園ナインはスタンドにあいさつをした後、泣き崩れる
PL学園野球部の歴史
◆硬式野球部は1956年(昭31)創部。62年春に甲子園初出場を果たした。70年夏は東海大相模、72年夏は桜美林に敗れ準優勝に終わったが、春夏通じ12度目の出場となった78年夏、中京との準決勝を延長12回サヨナラ、高知商との決勝を9回サヨナラ、いずれも土壇場での大逆転劇で制して初優勝し「逆転のPL」の異名をとった。80年代に入ると桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」を軸に人気、実力共に不動の地位を築いた。その後も甲子園で好成績を収め続け、98年夏には松坂大輔擁する横浜との延長17回の死闘など、印象に残る数多くの試合でファンを魅了し、プロ野球選手も多数輩出した。近年は09年夏を最後に甲子園出場はなく、不祥事が相次いだことや学園の方針もあり15年度から新入部員の募集を停止。昨秋の大阪大会は2年生12人で臨み、初戦で敗退していた。