昨夏、白岡(埼玉)は強豪私学を次々と倒して初の決勝進出を飾った。鳥居俊秀監督(40)は練習試合や紅白戦でポイント制を導入し、選手間投票でベンチ入りメンバーを決めている。1つの工夫が、自信のなかった選手たちに積極性を持たせ、やる気を起こさせた。

 盗塁のサインが出て走れば5点が加算される。ノーサインで次の塁を陥れたら、6点をゲットできる-。鳥居監督は「塁に出たら、じっとしているのが一番楽。でも、それではポイントが稼げません。だから、自然と積極性が出てくるんです」とポイント制の効果を語る。練習試合では、カウントが追い込まれるまでほとんどサインを出さない。昨夏も、走ってかき回して、埼玉栄や浦和学院などの難敵を倒した。

 ポイント評価表のシステムは、インターネットに掲載されていた論文を基にした。作成のきっかけは、母校上尾から赴任し、感じた違いからだった。「(白岡の生徒は)試合の中で諦める子が多かった。いいものを持っていても自信のない子が多かった」。進学校として知られる上尾の生徒とは、成功体験に差があった。月1回のペースで評価表が掲示される。ポイントがたまり順位が上がれば、C(3軍)からA(1軍)への入れ替えがある。選手のやる気スイッチを作った。

 鍵は、既存のものに「白岡ルール」を加えた点だ。「欠席は10点減点。実力があっても遅刻指導があったらマイナスです。学校生活もしっかりしないと、点数はプラスになりません」。ベンチに入るには、補習で練習を休むわけにはいかない。遅刻せず、勉強も頑張らないと上位進出はない。単純に、試合だけで積み重ねられたポイントではない。「そこら辺もあって、信頼度が高いポイントだと思っています」。最後は、選手間投票でベンチ入りメンバーが決められる。

 昨夏の快進撃の影響が大きく、部員は現在、創部以来最多の82人になった。それでも、年間約200試合もの集計をすべて1人で行っている。「商業が専門なので数字は好きなんですよ」。練習試合の後、午後10時まで評価表と格闘することもあるが、選手が頑張っている結果が見えるから苦にならない。選手のやる気と自信を呼び起こすため、鳥居監督は今日も数字と向き合う。【和田美保】

 ◆鳥居俊秀(とりい・としひで)1975年(昭50)9月13日、埼玉県生まれ。上尾では外野手。青森大卒業後、所沢商では野球部長を3年務めた。母校に戻って監督に就任し08年夏の県大会準優勝。12年白岡へ赴任すると同時に監督。家族は夫人と1男2女。