北北海道大会決勝で、創部3年目のクラークが3-0で滝川西を下し、通信制高校として初の夏の甲子園出場を決めた。2回裏に岸誠也捕手(3年)の中越え適時二塁打などで3点を先取。平沢津虎揮投手(3年)が5安打に抑え公式戦初完封勝利を挙げた。プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎氏(83)が校長で、前任の駒大岩見沢で春夏通算12回の甲子園出場歴を持つ佐々木啓司監督(60)が率いる。大志を抱き、14年4月の創部から2年3カ月で成就した。

 2年前の春、部員9人で始まったクラークの歩みが甲子園につながった。9回表2死一塁。平沢津投手は142球目のスライダーで相手打者を遊飛に打ち取ると左手を突き上げた。「楽しかった」と満面の笑みだった。14年春1回戦で0-9の7回コールド負け。14、15年は3季通じて各1勝しか挙げられなかったチームが、今夏は空知地区予選2戦、北北海道大会4戦の計6戦を勝ち抜いた。

 準決勝で初完投、決勝で初完封勝利を挙げた平沢津は、勉強は苦手だった。中学校の勉強でつまずき、通信制ながら午前中に授業があり、学習のサポートを受けられるクラークを選んだ。授業で分からなかった部分を背番号1の高橋に野球練習後の夜に寮で教わっている。今では「大学で野球の勉強がしたい」と言う。

 準決勝でサヨナラ適時打を放った福田健悟二塁手(3年)は、京都出身でカエルや沢ガニを捕まえるのが好きな、わんぱく小僧だった。甲子園出場歴のある京都の強豪校へ進学したが、チームになじめず1カ月で退部した。阪神鳥谷のファンで、何度も通った甲子園で「プレーしたい」という思いを捨てきれず、1年間公式戦でプレーできない規定を受け入れ、北海道へ飛んだ。

 さまざまな理由で全国から生徒が集まる。創部から指導する佐々木監督は「ハンディを持ちながら通う子も多い通信制高校で、夢と希望を持ってもらいたかった」。「ヒグマ打線」で鳴らした駒大岩見沢を率いたノウハウと、野球の楽しさ、やりがいを伝えた。決勝の2点適時二塁打を中越えに放った岸捕手は、兄が駒大岩見沢野球部の最後の世代。「兄と監督を、甲子園に連れていきたかった」とうれし涙を流した。

 学校の目標に「夢・挑戦・達成」がある。授業では、三浦校長が世界史上最高齢の80歳でエベレストに登頂したビデオも流される。甲子園へは、全国約1万1000人の生徒のうち、約5000人が駆けつける予定だ。「野球が好きで、好きで、好きでたまらないやつらが、甲子園でどんなプレーをするか、ワクワクする」。佐々木監督は、笑顔のナインをうれしそうに見つめた。【中島洋尚】

 ◆通信制高校の野球部 地球環境(長野)が12年春に春夏を通じて初めて甲子園に出場。1回戦で履正社に2-5で敗れた。夏の甲子園はクラークが初出場。日本高野連に加盟する通信制高校は15校あり、桐蔭学園時代に高橋由伸らを育てた土屋恵三郎監督が指導する星槎国際湘南(神奈川)は、神奈川大会で2勝を挙げ3回戦進出。日本ウェルネス(東東京)あずさ第一(千葉)も2勝した。

 ◆甲子園のスピード出場 クラークは14年4月創部。夏の大会に創部2年4カ月以下で出場した学校は、最速の02年遊学館(石川=1年4カ月)に次ぎ、2位の79年明野、80年江戸川学園取手(以上茨城)85年甲西(滋賀)04年済美(愛媛)に並んだ。済美は夏の初出場より前に創部2年で04年春にも出場している。春の大会は11年創志学園(岡山)の創部1年が最速で、八千代松陰(千葉)など6校が2年で出場している。

 ◆カタカナの校名 甲子園出場校では65年春のコザ(沖縄)、05年夏の聖心ウルスラ学園(宮崎)の例がある。六甲アイランド(兵庫)は市神戸商時代の55年夏に出場している。

 ◆クラーク 正式名称はクラーク記念国際高校。スポーツコース・硬式野球部のある北海道の深川本校をはじめ全国に33の直営キャンパスがあり、生徒数約1万1000人の広域通信制高校。野球部は14年4月創部で3年生9人、2年生16人、1年生9人の34人。佐々木啓司監督(60)佐々木達也部長(32)。卒業生にソチ五輪スノーボード女子パラレル大回転銀メダリストの竹内智香(32)。深川本校の所在地は深川市納内町3。三浦雄一郎校長。

◆Vへの足跡◆

◇空知地区大会

2回戦4-2岩見沢東

代表決定戦11-1深川西

◇北北海道大会

2回戦5-4遠軽

準々決勝12-5釧路湖陵

準決勝5-4旭川実

決勝3-0滝川西