長い長いトンネルを抜けた。甲子園出場春19回、夏21回の強豪東北が利府に5-0で勝利。夏の聖地へ、7年ぶり22回目の切符をつかんだ。エース渡辺法聖投手(3年)が9回2安打無失点で完封、打っては12安打5得点と投打で力を見せつけた。昨夏は不戦勝後の“初戦”でまさかの敗退。どん底を味わった名門は、児玉修哉主将(3年)を中心に新たな伝統を作ろうと決意。我妻敏監督(34)とともに選手が練習メニューを考えるなど、チームの「輪」を掲げて再起した。

 涙があふれ出た。5-0で迎えた9回裏2死走者なし。東北・笹沼匠右翼手(3年)の元へ高々と打球が上がる。青々とした天然芝の上で27個目のアウトをガッチリとつかみ取った。7年ぶりの優勝。ベンチから一斉に飛び出すナイン。歓喜を見守る我妻監督は男泣きしていた。「負けてきた6年間の子たちの顔が真っ先に出てきた。いろんな思いがあってここまで来られた」。長い長いトンネルを抜けた瞬間だった。

 どん底からのスタートだった。昨夏は“初戦”で姿を消した。児玉主将は「(不戦勝後の)事実上の初戦で負けた。東北高校として、あんな思いは2度と味わいたくなかった」と振り返る。敗れた試合があった午後に新チームは始動。まさかの敗戦で心の整理はつかないまま。それでも白球を追い、悔しさを刻んだ。

 名門の再起が始まった。我妻監督は「去年はやることをやり通した。一番練習して必死になったのに残酷に結果が伴わなかった。指導者が満足してしまっていたのかもしれない」と振り返る。どこかにあった慢心。徹底力を求めた。勝つために必要なことは何か、宮城県内での自分たちの実力はどのくらいか。ミーティングで突き詰め、具体的な目標を意識に植え付けた。

 掲げたのは「輪」だった。なぜ6年も勝てないのか。児玉主将は「あしき伝統があったから」と振り返る。グラウンド内の全力疾走を怠る、寮の部屋が汚い、授業中に居眠りをする。細かなことに気を配らなければ、徹底する力は生まれない。「伝統を一から作り直すことにした」と生活を変えた。寮の部屋は週に1回は清掃点検。授業中に睡魔に襲われている仲間がいれば、揺さぶり、起こした。

 選手は自発的に動くようになった。昨年まで与えられたメニューをこなすだけだった。しかし、今冬から月曜日にミーティングを実施。1週間の練習メニューを決めて、監督に報告した。この日はチームで12安打。児玉主将は「冬は1日1000スイング。夏の連戦が続いても疲れずにバットを振り抜けた」と考えた練習が生きたと胸を張る。我妻監督も「今年は例年より、自分たちを自分で厳しくするのを徹底することができていた」と目を細めた。

 変革は実った。昨春に進退伺を出すほど悩んだ我妻監督は言う。「震災の年のセンバツ以降、初の甲子園。野球で恩返しなんて格好いいことじゃなく、東北高校は元気でやっているというのを甲子園で見せつけたい」と。6年間の長雨は止み、強い東北が聖地に戻ってくる。【島根純】

 ◆東北 1894年(明27)創立の私立校。生徒数は2222人(女子707人)。野球部は1904年創部で部員101人(マネジャー3人)。甲子園は春19度、夏22度目。主なOBにレンジャーズ・ダルビッシュ有ら。宮城県仙台市泉区館7の101の1。五十嵐一弥校長。

◆Vへの足跡◆

2回戦8-0仙台工

3回戦7-5志津川

4回戦6-3石巻

準々決勝8-0東北学院榴ケ岡

準決勝4-3仙台育英

決勝5-0利府