7年ぶり22度目出場の東北(宮城)が、優勝候補・横浜(神奈川)に力負けした。

 東北の児玉修哉主将(3年)が、甲子園でこの夏初めて打席に立った。9回1死一塁。代打で登場して遊撃内野安打。「横浜と戦えて、さらにヒットが打てた」。小さい頃、横浜のユニホームを着た。地元は埼玉だが、父に連れられて何度も神奈川大会決勝を観戦した。憧れのチームとの試合に出場できたことが、何よりもうれしかった。

 父貢さん(55)は横浜OBで、78年夏の甲子園はアルプススタンドで応援していた。「(修哉は)ずっと横浜に行きたいと言っていた」と懐かしむ。だが兄悠太さんが東北に進学し、3年夏の宮城大会で佐藤由規(現ヤクルト)がいた仙台育英に敗れた。その無念が忘れられず、児玉は兄の背中を追った。

 くしくも初戦で横浜と顔を合わせた。「1回戦から当たるとは」と児玉は驚くが、年明けに選手たちに選ばれて主将になった。父に教えられた「仲間を大切にしなさい」を守り続け、チームを支えてきた。

 「本当は横浜に行って欲しかった」と言う貢さんは、東北の応援席にいた。「背番号をもらって、キャプテンで甲子園。自慢の息子ですよ」。憧れの地に立った次男を、頼もしそうに見つめていた。