3月19日から甲子園で行われるセンバツの選考委員会が27日、大阪市内で行われ、07年4月創部の呉(広島)が甲子園初出場を決めた。呉市の高校では63年春の呉港以来54年ぶり。尾道商で3度甲子園出場に導いた中村信彦監督(62)の熱血指導と、呉市の全面バックアップが10年の歳月をかけて実を結んだ。組み合わせ抽選会は3月10日に行われる。

 緊張から解放され、「市呉」ナインは喜びを爆発させた。吉報が届くと、自分たちの夢、監督の夢、そして市民の夢をつかみ取った選手たちは、願掛けの意味を込めて発表前日に刈り上げた五厘頭よりも、笑顔を輝かせた。

 呉市の高校を甲子園へ-。市を挙げての願いが結実した。プロ野球歴代最多勝利監督の鶴岡一人氏や「ミスタータイガース」藤村富美男氏らを輩出した地。地元の高校が甲子園から遠ざかり、有望な中学生は市外の強豪校へと進学していったが、ついにそのときは再び巡ってきた。

 「市呉」野球部は、07年4月に創部。尾道商を3度甲子園に導き、公立校の賀茂での指導歴もある中村監督が招かれた。「市長から『しばらく甲子園に出られていないので、呉市民の夢をかなえてほしい』と言われた。最後の奉仕だと思って、何とか夢をかなえたいと思ってここに来た」。選手の技術も練習環境も強豪校にはかなわない。まさに「ゼロからの出発だった」(中村監督)。

 市は創部2年目に同校から1キロもない利用率の低い広場を整備。今でも月に1度は一般利用させる同地が、左翼約98メートル、右翼102メートルのグラウンドに。練習試合も行える野球部の練習場となった。またナイター照明を設置し、午後8時までの練習を可能にした。

 環境の改善とともに、中村監督の下に選手が集まってきた。エース池田吏輝(2年)は呉市倉橋出身。広島市内の強豪校からの誘いを断り「地元の高校で甲子園に行きたい」と入部。基礎練習を徹底的にたたき込む守備を中心としたチームでエースに上り詰めた。

 新チームとなり1本塁打の「市呉」が、守備力を押し出す“中村野球”で甲子園行きの切符をつかんだ。かつて「東洋一の軍港」とも言われた呉の町は、すでに活気づく。センバツ出場決定を受け、呉市スポーツ振興課は市内28カ所に横断幕を掲げることも決めた。発足される後援会などへの全面バックアップも約束。いざ甲子園へ。市民の願いを乗せ、「市呉」ナインがまもなく出航する。【前原淳】