史上初の大阪勢対決となった決勝は、大阪桐蔭が4本塁打で履正社を下し5年ぶり2度目の春優勝を決めた。2000年生まれのミレニアム世代が中心となり、この日は藤原恭大外野手(2年)が先頭打者弾に続き6回にも本塁打。決勝での2発は史上初となった。同点となった直後の9回は西島一波(いっぺい=3年)捕手が、こちらも史上初となる決勝戦の代打本塁打。記録ずくめの優勝となった。

 ミレニアム世代の春が来た。胴上げ投手の根尾に、一塁から中川、三塁から山田、外野から藤原が駆け寄る。昨秋明治神宮大会王者の宿敵・履正社を沈めた。先陣を切ったのが、2年の先頭打者だった。

 プレーボール直後の履正社・竹田の5球目を、藤原が右翼スタンドへの先頭打者弾とした。準決勝を終えて19打数2安打、打率1割5厘。「何が何でも塁に出る」悲壮な決意が、初球で「打てる」の確信に変わった。昨秋近畿大会府予選準決勝で履正社に敗退も、藤原は竹田から3安打1打点。「秋と同じ」。不安は消えた。

 前日もこの日の朝も、日大三(東京)打線が竹田から5点を奪った1回戦のビデオを見た。「上からしっかりたたく」。眠れる大器がついに目覚めた。6回は直球を右中間席へ。2年生では春夏初の決勝戦での2本塁打。「みんなが打たせてくれた」。藤原の2振りは甲子園の歴史になった。

 「まさか兄と同じ箇所を痛めるなんて…」。開幕を翌日に控えた18日。左肩痛に顔をゆがめていた。不調には理由があった。昨夏大阪大会を最後に休部したPL学園の左翼手だった兄海成さん(18)。兄が苦しんだ肩の関節唇損傷に昨秋以来、藤原も苦しんだ。

 中学時代は兄を追ってPL学園のユニホームを着る夢を抱いたほど、あこがれの人だった。その兄は最後の夏、内野への送球すらできなかった。弟は兄より軽症だったが、専門医には「投手なら選手生命の危機」と告げられた。痛みで打撃にも影響が出た。それでも毎晩バットを振った。弟の苦悩を知る兄はこの日、アルプス最前列でフェンスにはりついて応援を続けた。

 PL学園が府高野連から脱退した今春、今の大阪2強が決勝で対決。大阪桐蔭が5年ぶりに紫紺の大旗を奪い返した。新最強時代が幕を開けた。【堀まどか】