夏の高校野球地方大会が全国で佳境を迎えている。甲子園に届かず、最後の夏を終えた球児が半数以上。同じように甲子園のプレーがかなわなかった野球人が、青春時代を振り返りながら「グッドルーザー」たちへメッセージを送った。等身大の言葉に高校野球の持つ力が詰まっている。

 ◆ロッテ井上(広島・崇徳) 3年夏は初戦負けでした。シードなのに、1回戦を突破して勢いに乗るチームにコロッと負けた。ショックすぎて、もう野球やりたくない、やめ時かと思いました。へこんだけど監督になだめられて中大に進み、プロに行きたい夢があったから社会人でもやりました。あそこでやめてたら、自動車整備士になってたかな(笑い)。後輩に託して応援したり、自分に何ができるか考えて、前を向くのが大事だと思います。

 ◆西武水口(長崎・大村工) 最後の夏が終われば、青春の思い出作りで遊んでもいいと思います。ただ就職にしろ進学にしろ、目標へ向かって欲しい。僕は3年の夏、1回戦負けの時点で野球を続けようと決めました。親戚は反対が多かった。体が小さい(身長163センチ)し「就職しろ」と。でも賛成してくれた両親の支えで独立リーグからプロまで来られました。

 ◆ヤクルト星(栃木・宇都宮工) 僕は決勝まで行ったのに甲子園に行けなかった。本当に悔しかったです。でも、高校野球で終わりじゃないと思っていました。すぐに切り替えるのは難しいかもしれないけど、次に向かって何とか進んでいく。それしかないと思います。

 ◆ヤクルト青木(宮崎・日向) 負けた時は「もっとやっておけば良かった」って後悔しました。それで野球をやりたい気持ちに火が付きました。負けた時の思いを忘れないようにした方がいいと思います。悔いのある人も、ない人も、その時にどう思ったのかを忘れない方がいい。今後どうしたいのか、しっかり考える時間をとった方がいい。これで人生は終わりじゃない。悔しいなら野球を続けた方がいいと思います。僕は負けたことでいい方向に行った。あと、一緒に戦ってきた人は大事にした方がいい。苦しい思いをしてきた仲間ですから。

 ◆ヤクルト石山(秋田・金足農) 悔やんで悔やんで、泣いて、しっかり受け止めないと次はないと思います。僕は悔いが残って泣きました。時間が空いて、次にどうしたいか悩む期間ができた。野球で挑戦したいと思って大学を受験しました。甲子園は行けなかったけど、予選で負けた後に大学に受かったことで、人生の中でのチャレンジに成功できました。だから負けた球児のみなさんにも、事実を受け止めて悩んで、流されるのではなく、自分で次を決めてほしい。

 ◆ヤクルト中尾(愛知・杜若) 悔しかったけど、甲子園に行くことだけが目標じゃなかった。正直に言えば「行けたらいいな」と思っていました。みんなで出し切って満足した部分もありました。3年間みんなでやって来たので、負けた後でも、集まってご飯にいったりしています。高校野球をやった人とは、一番きつい練習を一緒にしたから今でも集まります。人生でも大きな存在になっています。

 ◆楽天則本(滋賀・八幡商) 時間は限られている。悔いが残らないようにすることが大事。僕は不完全燃焼だったから次のステージでも続けられた。

 ◆楽天宗家豪(台湾出身) 台湾には甲子園のような聖地はない。いわゆる夏の高校野球も毎年のように、決戦の舞台は変わる。結局、チームが強いとかは関係ない。個人の努力がプロ野球の道を開ける。僕はそう思っている。

 ◆楽天高梨(埼玉・川越東) 大学(早大)に入った時は、野球部の名簿を見て甲子園出場に「○」が付いているかどうかが僕の原動力だった。自分は出ていない。こいつらには負けたくない。そう思って、野球を続けて来られた。

 ◆日本ハム玉井(北海道・旭川実) 僕は3年夏に甲子園に出場しましたが、投げることは出来ませんでした。チームでは3番手投手で、3年時の公式戦は1回も投げられませんでした。最後までマウンドに上がれなかったことが、今につながる全ての原動力となっています。

 ◆日本ハム井口(神奈川・武相) いっぱい遊んで、次に向けて切り替えてほしい。僕は夏休み中だったのでボウリングや映画を見に行ったりしてリフレッシュしました。夏に負けているのに言うことではないですが「夏休みが終わったら野球をやる」と決めて、満足するまで遊んでください。

 ◆巨人宇佐見(千葉・市柏) 11年の夏、4回戦で敗退した時は悔しさもありましたが、同時に次のことを考えてもいました。翌日は終業式で、みんな落ち込んでいる様子だったので、カラオケに行きましたね。あれこれやっておけばよかったと後で思うくらいなら、今やるべきことをやることが大切だと思います。

 ◆巨人吉川尚(岐阜・中京) 12年夏、県岐阜商に準決勝で負けました。直後は3年間やりきれたという思いが強かった。寮生活では身の回りのことは自分でやるという責任と、規律を守ることを学んだ。いろんなことが今に生きています。引退後はみんなで海に行った。大学で野球をやることは決めていたので思いきり遊んで切り替えました。

 ◆DeNA宮崎(佐賀・厳木) 3年の夏は1回戦で負けてしまって、その後の夏休みは遊んでましたね。自分はプロを考えるほどの選手ではなかった。いきなり切り替えるのは難しいと思う。家族とか支えてくれる人たちがいた。だからそこでリフレッシュしてから、もう1度自分と向き合うのがいいと思う。

 ◆DeNA浜口(佐賀・三養基) 悔いなく終わる人は少ないと思う。僕は大学に向けて切り替えましたね。負けた翌日、みんなで炭酸(飲料)解禁の乾杯をしたんです。ずっと炭酸禁止だったんで。あれは忘れられない味。野球を続ける人もそうでない人も次の目標を決めること。そうすれば時間の使い方も変わってくると思う。