秋田県代表・金足農の大躍進の背景には何があるのか-。

 1989年(平元)、秋田高の3年生として最後の夏に挑んだあの時、ライバルだった金足農にはスーパー2年生がいた。

 29年前、当時、2年生ながら金足農打線の中軸を担っていた中泉選手のはつらつとした動きが今も印象に残っている。長打力があり、足も速い。守っても肩が強く、秋田を代表する中堅手だった。三塁を守っていた私は、中泉選手の打球が強烈に速く恐怖感を覚えた記憶が鮮明だ。

 それでも、走者一塁の場面では、打力のある中泉選手でも例外なく送りバントのサインが出された。守る方はアウト1つ増えることに安堵(あんど)しながらも、確実に進塁されて重圧の掛かる守備に神経をすり減らした。

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 2018年(平30)8月、NHKの試合後の勝利監督インタビューでぼくとつと言葉をつなぎ、武骨な顔つきで選手たちを褒めたたえる中泉一豊監督(45)は、100年の高校野球史に名を刻む指導者になった。

 真面目で謙虚な男だった。下級生でベンチ入りしたことから、先輩の大きな荷物をいくつも肩に背負って球場を出入りしていた。敵だった私たちにも帽子を取って深々とあいさつができる選手だった。全力疾走、声をからしてチームを鼓舞する姿は、今の金足農の選手たちに通じるものがある。

 当時、私たち秋田高のエースだった椎名博樹氏(47=秋田魁新報)は今回の金足農の快進撃をこう分析する。

 「吉田君という、ずばぬけた投手力が前提としてあり、大量点を求めず確実に1点を重ねる展開に持ち込めている。金農の伝統的な戦い方です」

 たとえ1死一塁でも迷わず犠打のサインが出る。この戦術こそ、中泉監督が選手時代から実践していたこと。前監督の嶋崎久美さん(70)から受け継いだ伝統の攻撃スタイルだ。

 スクイズで1点、2ランスクイズで劇的なサヨナラ勝利を挙げた18日の準々決勝(近江戦)は、時空を超えて昔ながらの高校野球が甲子園でよみがえったように映った。

 青学大で中泉監督と同じ野球部に所属した椎名氏は「学生のころ、時代の最先端をいく攻撃スタイルを学んだ中泉監督だが、金農の指導者となっても、母校の野球に原点回帰して戦っていることが今の躍進と無関係ではないでしょう」と語る。

 金足農は昔からよく練習をするチームだった。地区大会では勝ってもぶざまな試合をすれば学校に帰って猛練習に励んでいた。夏の猛暑対策では蒸し暑いビニールハウスの中での走り込み、地元の秋田市追分地区では夜遅くまで金足農野球部の声が鳴りやまなかったという。

 103年前の第1回大会、私たちの先輩、旧秋田中(現秋田高)は決勝までコマを進めたものの敗れた歴史がある。

 秋田高の同期で一塁手だった猿田由紀夫氏(46=自営業)は、7年前から県の高校野球育成プロジェクトのメンバーとして、中学生が硬式球に慣れるための指導にあたっている。秋田全体の野球のレベルが上がってきている手応えはある。

 それでも猿田氏は、県の取り組みとは別に、金足農が基本に忠実な自分たちの野球を甲子園でも変えずに戦っていることを勝因に挙げる。「中泉監督が、選手をよく知り、選手の実力に見合った野球をさせていることが快進撃につながっている」と言い切る。「全国から優秀な選手を集めなくても地元の子どもだけで勝てるチームを作れる。この夏、秋田の高校生は金足農の戦いぶりを見て大きな自信を得た」と力説する。

 秋田中があと1歩及ばなかった頂点。県民は金足農の、ただひたすらに1点をもぎ取るひた向きな野球に注目している。【秋田高校野球部OB(90年卒)山内崇章】