埼玉栄野球部監督からの勇退を表明した若生正広氏(68)が5日、教え子であるダルビッシュ(現カブス)との思い出を語った。

最初にダルビッシュを見たのは、母校である東北高の監督をしていた01年7月1日の日曜日。日付、曜日まで、今でもはっきりと覚えている。それほど、若生氏にとって衝撃的な出会いだった。

当時、全羽曳野ボーイズでプレーしていたダルビッシュを見るため、大阪までやってきた。練習日。既に40人近い各高の監督が視察に来ていた。全羽曳野ボーイズの監督から「投球練習させますから、見て下さい」と言われ、ブルペンへ移動。捕手の後ろの位置から見たが「すごいなあ」と思ったという。「どこまでいくんだろう」と将来的に大成する片りんを感じ取った。

関西のある強豪私学も視察に来ていたが「うちは取らない」と話していたという。長身投手は大成するまで時間がかかる、というのがその学校の見立てだった。「あそこが取りにいってたら。ありがとう、と思いました」と裏話を明かした。

9月になり、ダルビッシュが父ファルサさんと一緒に東北高へ学校見学にやってきた。その際、イラン出身のファルサさんが「東北高校の風景はイランの風景に似ている」と気に入ってくれたという。さらに、入学後の指導方針を尋ねられた。若生監督は「1年間は体の柔軟性をつくって、2年から投げもらえれば」と答えた。「納得してくれたのかな。あと、僕からは『東北はお米がおいしいですよ』と言ったぐらい」と懐かしそうに振り返った。

入学後のダルビッシュは、とにかく手がかからなかったという。「これをやっておきなさい、と言ったらやっている。股関節を柔らかくしなさいと言ったら、1年かけてやった。野球においては、手がかからなかった。素質がある子は勝手にやりますよ。陰で努力する子だった。朝も(同じ投手の)真壁と一緒に坂道を走っていたし、腹筋も毎日1000回、やっていた」と話した。

今のダルビッシュについて問われると「能力がすごい。人間的にも成長して、安心しています。もともと優しい子なんですよ。ダルビッシュだけじゃないですが、教え子が活躍する姿を見たいですね」。いずれ大リーグでの登板を見に行く希望を明かした。

87年からの埼玉栄を皮切りに、30年を超える指導者人生だった。若い頃は寮に住み込み「人間は3時間、寝れば大丈夫」と午前4時まで練習したこともあったという。ダルビッシュとの思い出を冗舌に語ったが、印象に残る教え子を問われると「みんな一緒。ただ、ここ(埼玉栄)で最初に務めた時の子たち。今では社長さんになっている子もいる」と、しみじみと答えた。

若生氏にとって、野球とは。「負けることで、今度はどうしようと考え、工夫する。負けて野球を覚えました。子どもたちの扱い方も勉強になりました。野球は人生かな、と思います」。今後は総監督としてサポート役に回るが、いずれ郷里の仙台に戻り、少年野球を教えたいという。