高校野球の監督として取手二、常総学院(ともに茨城)で計3度の甲子園大会優勝を果たした木内幸男氏が24日、死去した。89歳だった。

がんが全身に転移しており、自宅で闘病中だった。最近では肺に転移したことで肺に穴が開き、言葉がうまく出ず、かすれ声になってしまっていた。見舞いの人とは指で胸元や手のひらに文字をなぞってやりとりしていた。

教え子たちには「病院に入ったら出てこられないから、今のうちに会いに行くように」と、連絡が来ていた。木内氏も病床で気になる教え子たちの名を繰り返し口にしていたという。

木内氏は1931年(昭6)7月12日、茨城・土浦市生まれ。土浦一では中堅手で主将。卒業後は大学進学を断念し、母校コーチに就任。そのまま53年に監督となった。56年から取手二に移り、84年夏は決勝で「KKコンビ」擁するPL学園(大阪)を破り、初優勝。同年9月に常総学院監督に就任し、01年センバツ、03年夏に優勝した。07年秋に監督復帰し、11年夏まで指揮を執った。甲子園通算40勝19敗。大胆な選手起用は「木内マジック」と呼ばれた。主な教え子はDeNA仁志敏久2軍監督ら。