<レリゴー!!甲子園>

 第87回選抜高校野球大会(3月21日から12日間、甲子園)の出場32校が、23日の選考委員会で決定する。注目選手やチームにスポットを当てる「レリゴー!!甲子園」第2回は「打者編」。昨秋の関東大会準優勝で44年ぶりの出場を確実にした木更津総合(千葉)の大型遊撃手、4番桧村篤史内野手(2年)は高い守備力と勝負強い打撃で、プロから注目を集めている。

 日が落ちて人影が少なくなった木更津総合のグラウンドに、乾いた打球音が響いていた。桧村は1-10で浦和学院(埼玉)に敗れた昨年10月の関東大会決勝以降、午後7時半に全体練習が終わった後も、午後8時半まで個人練習を続けている。「決勝ではインコースが打てなかった。それからは毎日、短時間に内角を25球連続で打つトスバッティングを繰り返しています」。4番を務めた決勝で4打数無安打のまま大敗した悔しさから、グラウンドが使える限界まで居残って自らを追い込む日々だ。

 夏の甲子園通算4回出場の強豪校で、守備力を買われて1年夏の千葉大会初戦から背番号6を背負った。同大会では21打数10安打8打点、打率4割7分6厘で県制覇に貢献。甲子園3試合でも2安打を放った。勝負強い打撃と、180センチ、75キロのしなやかな体を生かした遊撃守備が持ち味。「遠投なら100メートルはいけると思います」と自信を持つ強肩に、地元ロッテなどが注目している。

 口数の少ない努力家。その姿を、五島卓道監督(60)は「淡々とやるところは小笠原(道大=中日)のよう。いつも遅くまでやっていたなあ」と26年前の暁星国際(千葉)で指導した教え子に重ね合わせる瞬間がある。五島監督と小笠原の関係を入学決定後に知った桧村は「テレビで見ていた選手を育てた監督の下で野球ができるなんて」と心が躍ったという。それから2年。気がつけば、自分も努力が特徴の選手になった。

 甲子園に出たくて千葉市内の実家を離れ、木更津での寮生活を決めた。しかし初めての甲子園は、3試合2失策。悔しい記憶の方が強く残っている。「あの時は観客が多くて緊張して、自分のプレーができなかった。今度こそ自分を出し切る。そのために練習してきた」。固い決意とガッツを胸に、自身2度目の聖地へ乗り込む。【松本岳志】

 ◆桧村篤史(ひむら・あつし)1997年(平9)11月6日、千葉県千葉市生まれ。上の台小の幕張ヒーローズで野球を始め、幕張本郷中ではポニーリーグの千葉ジャガーズに所属。木更津総合では1年夏から背番号6。夏の甲子園では7番と5番で3試合フル出場。2年秋から4番。家族は両親と弟。180センチ、75キロ。右投げ右打ち。血液型O。