<高校野球東東京大会:帝京6-1関東一>◇31日◇決勝

 東東京大会では、帝京が昨年の覇者、関東一を破り2年ぶり12度目の甲子園出場を決めた。エース伊藤拓郎投手(3年)は5安打8奪三振で1失点完投。09年夏の甲子園で1年生最速の148キロをマークするなど注目されたが、昨春センバツ以後はなかなか力を発揮できず、昨秋、今春の東京大会は初戦敗退するなど苦しんだ。球速だけに頼らぬ「大人の投球」ができる投手に成長し、甲子園へ帰る。

 最後のバッターを141キロのストレートで三振に抑えると、伊藤は「やったぞー」と石川亮捕手(1年)と笑顔で抱き合い、駆け寄ったナインとマウンド付近に歓喜の輪を作った。

 成長を見せたのは6回裏無死一、二塁のピンチだった。4番小野寺颯人捕手(3年)を迎えると初球にスライダーを見せてから、2球目の直球で三直併殺に切り抜けた。伊藤には物足りない最速143キロだが、力勝負だけでなく緩急を使うようになった。成長が凝縮された5安打8奪三振。昨春センバツ以来となる9回完投だった。

 1年夏に甲子園で148キロをマークして注目された伊藤だが、2年からは苦しんだ。昨春センバツまでは、大会中に「150キロ宣言」をするなど球速にこだわっていた。だが「球速にこだわる余りフォームを崩した」。以後は「勝つ投球」に徹しようと打者の手元で伸びる速球、切れる変化球をひたすら磨いた。だが、モデルチェンジは簡単ではない。昨秋、今春は東京大会で初戦負けを喫した。それでも、前田三夫監督(62)が「夏は150キロでも打たれる。球速ではない」という言葉を信じた。

 人間的にも成長した。昨年の新チーム結成から約3カ月、主将を務めた。それまでは自分の登板時以外は試合にも無関心だったが、チームに対する意識も強くなった。以前は「現代っ子なんですよ」と、あきらめ顔だった前田監督も「大人になったなぁ」と成長を認めた。

 1年夏、2年春の甲子園について、伊藤は「以前の甲子園は連れて行ってもらって勢いで投げただけ」と振り返る。だが、今回は違う。この日、本塁打を放った松本剛主将(3年)とともにチームを引っ張ってきたという自負がある。「松本と2人でチームを引っ張って優勝できて本当に良かった」。大人になった伊藤が、甲子園の舞台に戻る。【茶木哲】

 ◆伊藤拓郎(いとう・たくろう)1993年(平5)4月2日生まれ、東京都出身。小2のとき「ツバメ野球部」で野球を始め、当時から投手。大泉西中では東練馬シニアに所属し、3年時日本代表入り。帝京では1年夏、2年春に甲子園出場。家族は母、兄、弟。185センチ、86キロ。右投げ右打ち。

 ◆帝京

 1943年(昭18)創立の私立校。生徒数902人(うち女子373人)。野球部は49年創部。部員数41人。甲子園は春14回、夏は12回目の出場。主な卒業生は伊東昭光(ヤクルトコーチ)、森本稀哲(横浜)、とんねるずの石橋貴明ら。所在地は東京都板橋区稲荷台27の1。奥村英治校長(55)。

 ◆Vへの足跡◆

 

 

 1回戦20-1産業技術高専2回戦7-0昭和鉄道3回戦14-2城東4回戦12-2筑波大付5回戦8-0城西準々決勝8-0修徳準決勝5-2成立学園決勝6-1関東一