<全国高校野球選手権:智弁学園2-1鶴岡東>◇12日◇2回戦

 智弁学園(奈良)のスーパー2年生が甲子園デビューを快勝で飾った。鶴岡東(山形)を下し、3回戦に進出。来秋のドラフト候補、青山大紀投手が自己最速を更新する146キロストレートを軸に1失点完投、打っても先制打と投打に活躍した。

 16歳の実年齢より大人びて見える青山の顔が、一瞬こわばった。9回2死から6番の神田真に二塁打を浴びた。最少リードで得点圏に走者を出してしまい「甘かった」と反省。奈良大会は5点差の決勝以外すべてコールド勝ちしたチームが、甲子園初戦は1点差の競り合いに苦しんだ。最後は2年生エースが二ゴロで締め、夏3年ぶりの校歌を響かせた。

 2-0の5回1死二塁からボークを取られた。走者を三塁に進めてしまい、相手エース佐藤亮の適時打で1点を失った。

 青山

 走者につられて動いてしまいました。とにかく緊張してしまって、なかなか自分の投球が出来なくて。リラックスして投げられたのは(2つの見逃し三振と左飛で3者凡退の)7回だけでした。

 奈良大会で準々決勝から決勝まで3戦連発と当たりに当たったが、この日は4打数1安打。だがその1本は先制打。自己最速146キロもマークし、野球人生で初めて覚えた変化球の得意球フォークも「投げれば楽なのはわかっていたけれど、次の試合を考えて」と封印。冷静さも忘れなかった。

 今年の正月。家族の前で突然「夢が決まった。プロ野球選手になる」と宣言した。しかし家族はあぜん。「今まで何になりたかったん?」と腰砕けになった。幼いころから母恵美子さん(43)の料理を見よう見まねで覚え、実は最近まで料理人を真剣に目指していた。

 だが、目標を切り替え、新たな夢に一直線。来秋のドラフト候補のきらめきを見せ、甲子園デビューを果たした。【堀まどか】

 ◆青山大紀(あおやま・だいき)1994年(平6)11月28日、大阪・藤井寺市生まれ。小学3年で「若江ジャイアンツ」で投手兼内野手として野球を始め、同4年から「八尾フレンズ」に入団。藤井寺中では「葛城JFK」で3年時に全国制覇。1年夏は背番号9でベンチ入りし、奈良大会準優勝。50メートル6秒0。182センチ、71キロ。右投げ左打ち。