<全国高校野球選手権:日大三11-0光星学院>◇20日◇決勝

 日大三(西東京)が記録的猛打で2001年(平13)以来10年ぶり2度目の優勝を果たした。

 小倉全由監督(54)は三塁側ベンチ前で3度宙に舞った。10年ぶりの全国制覇に「甲子園で優勝候補のプレッシャーを感じながら優勝したいと思っていた。自分は10-0が理想の野球。甲子園の決勝でやれるなんて幸せな男です」。真っ黒に日焼けした顔で笑った。毎年、強力打線をつくるが「打撃が好き。打撃は面白い」と理由は単純明快。01年は大会新記録のチーム打率4割2分7厘で初優勝したが、またも攻撃野球で頂点に立った。

 単身赴任で寮に住み、飾り気なく選手に接する。高校時代は背番号13の内野手で、主な役割は副主将と三塁コーチャー。選手に「花形プレーヤーではなかったし、6大学や東都で活躍したわけではない」と自らを紹介する。グラウンドで叱った後は選手を3階の監督室に呼び、フォローを忘れない。梨やプリンなどスイーツを冷蔵庫に冷やし、選手とつまみながら「なぜ怒ったのか」を説明する。

 「練習はうそをつかない」が信条だ。冬場の2週間に及ぶ強化練習は早朝5時から午後6時まで続き、手が血だらけになるまでノックを行う。強化練習期間終了時、選手たちは達成感から泣きだすほど内容は濃い。現代流のメリハリはつける。自らの現役時代は年中無休の練習で疲れ切り、夏休み欲しさに甲子園を目指す気力が残っていなかった。現在は2週間に1度、休日を設けている。

 選手が純粋に「監督を男にしたい」と口をそろえるほど信頼は厚い。甲子園出場16度の名将ながら腰が低く、誰にでも丁寧に応対をする姿を畔上主将らは尊敬している。【斎藤直樹】

 ◆小倉全由(おぐら・まさよし)1957年(昭32)4月10日、千葉県生まれ。日大三を卒業後、日大時代は小枝守監督(現拓大紅陵監督)の下で母校のコーチを務める。大学4年時に甲子園出場し指導者を志す。81年関東一の監督に就任、85年から同校で春夏通算4度甲子園出場。97年から日大三監督として春夏通算甲子園12度出場。社会科(倫理)教員。家族は妻と2女、母。孫が1人。