<高校野球兵庫大会:明石南1-0川西緑台>◇12日◇2回戦◇高砂

 兵庫で“日本最遅ピッチャー”を目指す明石南・中田浩輔(3年)が公式戦初先発で、川西緑台を1安打完封した。120キロに届かないストレートと70キロ台のスローカーブを武器に16個のフライアウトを取り、昨夏の兵庫4強打線をほんろう。わずか93球で味方の挙げた1点を守り抜いた。

 三振を取っても、中田は不満だった。0-0の5回、先頭への死球と捕逸で招いた2死三塁のピンチ。得意球のスクリューで打者のバットに空を切らせたが「不本意です。二塁ゴロを打たせようと思って投げた球なのに…。うちは守りが堅いんでゴロを打たせたらいいと思っていたのに…」と2個目の奪三振を悔やんだ。

 「日本一遅いピッチャー」を目指し今年4月、中田は上手投げから横手投げ左腕に生まれ変わった。120キロに満たない直球と110キロ台のスライダー、スクリュー、最遅70キロのスローカーブが持ち球。投球を見てくれる栄大輔部長からは「しっかり腕を振ってもっと遅い球を投げなさい」と叱咤(しった)される。

 伊川谷小では左利きの遊撃手だった。高校から「日本一速いピッチャー」を目指し、投手に転向。強い足腰を作ろうと懸命に走り込んだ。それでも理想に近づけず、1年秋に初めてもらった背番号10も2年夏には不振で手放した。

 栄部長の勧めで今春横手投げに変えた。兵庫開幕まで3カ月で研究を重ね、遅い球を投げるため「前に踏み出す足が着地してからも出来るだけ長く球を持てるように」と工夫。鍛えてきた足腰がここで役に立った。開幕前の最後の練習試合で関西学院(兵庫)を6回1安打無失点。自信を深めて臨んだ公式戦初先発だった。

 「ぼくが見てきた中でもきわめてまれな遅さ。これも本人が努力した成果です」と35歳の榎本繁監督が目を細めた。目指した道は正解だった。【堀まどか】

 ◆中田浩輔(なかた・こうすけ)1994年(平6)6月9日、神戸市生まれ。伊川谷小4年から「伊川谷ニューパワーズ」で遊撃手として野球を始め、伊川谷中では軟式野球部に所属。当時は中堅手。高校で投手を始め、1年秋に背番号10でベンチ入り。50メートル走6秒2。遠投80メートル。好きな選手は阪神榎田。178センチ、70キロ。左投げ左打ち。