<高校野球千葉大会:千葉国際10-0土気>◇15日◇2回戦◇市原臨海球場

 春以降、防御率0・00右腕の千葉国際・相内誠(3年)は日米13球団のスカウトの前で、1イニングを1安打無失点に抑えた。

 待ちに待った登板だった。10点リードの6回裏、相内が登場した。バックネットに集まったスカウト陣と、注目右腕見たさに集まった観衆の前で、テンポ良く11球を投げ込んだ。

 1死後、1ボール2ストライクから3番打者を空振り三振に仕留めると、スタンドが沸いた。次打者に中前打を許したが「1点もやらないつもりで投げました」と強気だった。ネット裏のスカウトのスピードガンは139キロを計測。最速の143キロには及ばなかったが、1回を1安打無失点で抑えてゲームを締めた。先発の平田慧也(けいや)が5回まで無失点に抑えていたが、「試合の感覚を取り戻せたら」と志願してのマウンドだった。

 開会式(11日)の直前4日間で、連投対策に取り組んだ。200球、そして100球の投げ込みを2日間行い、最終日は練習試合に登板して完投。この日はわずか11球のみだったが「不安はもうないです」と満足そうに振り返った。

 3回戦から決勝までは8日間で5試合と厳しい戦いになる。しかし「夏バテ気味です」と苦笑いして明かしたように、ベスト体重の74キロから69キロまで5キロも減った。学校の休み時間にはおにぎりを用意し、夜食も食べるようにして、体力回復を心掛けた。

 春は予選から5試合40回を投げ47奪三振、防御率は0・00。「自分が投げたら点は与えない。防御率0より失点0がいい。打たれてもゼロにこだわります」と力強く話す。帽子のつばには「我慢」の文字が書かれている。自分に何が必要か考えて書き込んだ。暑さ、連投、プレッシャー。その壁を乗り越えるために、どこまで我慢できるか。その先にある甲子園の切符を、その右腕でつかみにいく。【成田光季】

 ◆相内誠(あいうち・まこと)1994年(平6)7月23日、千葉県柏市生まれ。小4から野球をはじめ、投手一筋。高校では2年春からエース。昨夏の1回戦は9者連続三振と力投、4回戦進出。高校通算本塁打は7本。184センチ、70キロ。右投げ右打ち。