<高校野球新潟大会:新潟明訓5-2中越>25日◇決勝◇ハードオフ新潟

 新潟明訓が2年ぶり7度目となる夏の甲子園出場を決めた。エース竹石智弥投手(3年)が152球の力投を見せ2失点(自責1)完投と踏ん張り、中越を撃破した。今夏を最後に勇退を表明している佐藤和也監督(55)は、甲子園で有終の美を飾ることになった。

 佐藤監督が3度宙に舞った。「内心はどこまで持つかと思っていました。本当に幸せです」と試合後の優勝監督インタビューで涙ながらに語った。11日の開幕戦の朝に勇退の意向を伝えていた。「これを重圧に感じることなく、前向きに捉えてくれ」と選手たちを逆に鼓舞し、29年間の監督人生の集大成を、優勝で締めくくった。

 「勝負のスタミナが課題」と今大会のキーマンに挙げていたエース竹石が踏ん張った。強力中越打線相手に、内角直球を強気に投げ込み、10安打を浴びながら2失点完投。準決勝から連投で152球を投げ、全45イニング676球を1人で投げきった。「去年は決勝で負けて悔しかった。今年は決勝で満足しないでやろうとした。とにかく腕を目いっぱい振った」と笑みを浮かべた。

 そのエースの力投に打撃陣が応えた。2回裏1死一、三塁では主将の石山健内野手(3年)が先制の犠飛。4回裏にも適時内野安打で計2打点。7回裏1死一、三塁では2番小見山常泰外野手(3年)がスクイズ失敗。その後に小見山が意地を見せ適時三塁打を放ち、4点目を挙げた。小見山は「竹石は疲れていた。何とか挽回したかった」と竹石を援護した。

 竹石は4月に右肘を痛め、春季県大会を回避し実戦が不足していた。その竹石に夏の本番に完投を命ずることで、責任感を引き出しエースの自覚を芽生えさせた。佐藤監督は「相当疲れがあってヘロヘロだったけど、本当に踏ん張った」と評価した。

 優勝への道のりは平たんではなかった。新津との初戦では1点差を逆転サヨナラ勝ち。「初戦で負けそうになって、うまく切り抜けてからチームが締まっていった」と手応えをつかんだ。チーム全体が「1日でも監督と長く野球をやろう」と1つにまとまっていった。

 新潟での有終の美を飾り、迎えるは7度目の甲子園。「とにかく1度は校歌を歌いたいね」。佐藤監督の言葉には自信が込められていた。【高橋洋平】

 ◆佐藤和也(さとう・かずや)1956年(昭31)8月31日、新潟・長岡市生まれ。長岡を経て日体大卒業後、84年に新潟明訓の監督に就任。91年夏に初出場。初戦敗退は2度だけ。10年にはベスト8入りを果たした。現役時代は捕手。家族は妻、1男2女。

 ◆新潟明訓

 1921年(大10)創立の私立校で、野球部は47年創部。部員数80人。生徒数1272人(女子513人)。甲子園は春1回、夏6回出場。10年ベスト8。OBは小林高也(巨人)、小林幹英(広島投手コーチ)。所在地は新潟市江南区北山1037。大滝祐幸校長。◆Vへの足跡◆2回戦5-4新津3回戦4-0吉田4回戦10-0長岡向陵準々決勝11-1村上準決勝9-0十日町決勝5-2中越