<全国高校野球選手権:明徳義塾3-2酒田南>◇15日◇2回戦

 苦しみ続けたエースが、最後に夢舞台で輝いた。3年ぶり出場の酒田南(山形)は明徳義塾(高知)に惜敗。あと1歩及ばなかったが、先発の会田隆一郎投手(3年)が147球の力投。0-2の7回には、自ら左翼スタンドに本塁打も放った。今年2月14日にがんで他界した祖父幸一さん(享年74)と約束した、甲子園での雄姿を見せた。

 会田の目に涙はなかった。147球完投。直球は自己最速タイの143キロを3度マーク。中学時代に「酒田南で甲子園に行こう」と誓い、1年時からバッテリーを組んできた下妻貴寛主将(3年)のミットめがけて全力投球。「本当に楽しかった」。表情はすがすがしかった。

 息の合ったバッテリーが、強豪を苦しめた。相手の4番・西岡貴成内野手(2年)は完全に封じた。徹底的に内角を攻め、フォークで4打席連続空振り三振。「サイン通り。気持ちよかった」と会田。ワンバウンドしても下妻が止める。1点を失った直後の8回2死二塁も、フォークで切り抜けた。「2人で取った三振」(下妻)。会田は山形大会直前の7月上旬まで調子が上がらず、野手起用プランもあった。しかし夢の舞台で女房役とともに、本来の姿を取り戻した。

 「3年間で最高のピッチングができました」。苦しみを乗り越え、会田は笑った。昨年6月、突然ストライクが入らなくなり、ボールが打者の背中を通過。わずか6球で降板した。「イップス」(精神面が原因の投球障害)だった。絶望し、試合後に母幸子さん(39)にメールを送る。「野球をやめたい…」。しかし、続きがあった。「でも、僕が(女手ひとつで育ててくれた)母さんと妹(未来さん=11)を支えないといけない。プロを目指して家族を支えるためにがんばります」。初めて母に悩みを打ち明けた。それほど、つらかった。

 絶対に復活する。そう信じて精神面をケアする病院に通い、昨秋には横手投げに転向。制球は定まったが、本当の自分ではない。「悔いのないように、上から投げよう」。今春から再び修正し、寮に入って野球に専念。そして最後の夏、地元山形の仲間たちと念願の甲子園切符をつかんだ。

 7回、自ら放った左翼への飛球を見ながら「おじいちゃんは、見ててくれたと思う」とダイヤモンドを1周した。野球を始めるきっかけを与えてくれた祖父幸一さんは、今年2月に他界。約束した甲子園で、やっと本来の力を発揮することができた。「ホームランを打たせてくれて、いいピッチングをさせてくれて、ありがとう」。試合後、会田はベンチ前で、胸を張って天を見上げた。【鹿野雄太】