<センバツ高校野球:尚志館2-1大和広陵>◇24日◇2回戦

 大和広陵(奈良)の2年生エース立田将太が魔の9回に泣いた。尚志館(鹿児島)を8回まで無得点に封じながら、9回に逆転打を許した。最終回にこの日最速の143キロをマークする怪物ぶりを見せつけ、さらなる成長を誓った。

 同点への希望を乗せた打球は、右翼手のグラブに吸い込まれた。1点を追う9回2死。立田が最後の打者になった。表情を変えず、整列に並んだ2年生エース。だが唇をかみしめた横顔に、悔しさがあふれた。

 あと3アウト踏ん張れば、完封勝利のヒーローだった。9回、連打と与四球で無死満塁。6番の関を2球で2ストライクと追い込みながら、3球目のスライダーをすくわれた。右翼線を破る逆転打。「スライダーで逃げたのがあかんかった」と胸の中でつぶやいた。

 3月の紅白戦で腰に違和感が出た。マッサージや鍼治療で回復に努め、迎えた初戦。最後の勝負どころで力勝負を挑めなかった自分に腹が立った。

 それでも全国に「立田」の名前を知らしめた。9回無死一、三塁でこの日の最速143キロをたたき出した。最終回、走者を置いた場面で底力を見せた。阪神池之上スカウトは「今の段階でもAクラス。これが新2年生と聞けばドラフトまでまだ1年ある。その間の成長が本当に楽しみ」と可能性を認めた。

 河合一中までは夕方、父裕和さん(44)と走った。今は午前6時前に起きて1時間、1人で走る。幼いころからよく食べ、恵まれていた体格をアスリートの身体につくりあげた。「冬の朝は寒いし眠いし、何度もくじけそうになった。それでも自分のためと思って頑張る」。上級生を含めたチームメートは、そんな立田を軸にまとまった。

 「後半ばててしまった。自分の練習が甘かったとわかった。夏にはもっと大きく成長して戻ってきたい」。自分を鍛えることを誓い、立田は前を向いた。

 ◆立田将太(たつた・しょうた)1996年(平8)6月4日、奈良県生まれ。河合一小1年から「河合フレンズ」で投手として野球を始め、6年時に全国優勝。河合一中では「葛城JFKボーイズ」に所属して日本一になり、16歳以下のAA世界野球選手権に日本代表で出場。大和広陵では1年秋から背番号1でベンチ入り。好きな投手は楽天田中。182センチ、82キロ。右投げ右打ち。