<センバツ高校野球:浦和学院17-1済美>◇3日◇決勝

 浦和学院(埼玉)が、18安打17得点の猛攻で、春夏通じて初の頂点に立った。1点を追う5回、3番山根佑太主将(3年)4番高田涼太内野手(3年)の適時打などで、3連投だった済美(愛媛)の「怪物」右腕安楽智大(あんらく・ともひろ)投手(2年)から7点を奪って攻略。投げてはエース左腕、小島(おじま)和哉投手(2年)が8安打1失点で完投し、17-1と大勝した。埼玉県勢の優勝は68年大宮工以来、45年ぶり。春の王者として、今夏は史上8校目の春夏連覇に挑む。

 3番山根は、済美の怪腕が見せたわずかな口元の動きを見逃さなかった。同点に追い付いた直後の5回2死満塁。「安楽がマウンドで『大丈夫』って、独り言言っていたのが見えたんです」。最速152キロ右腕がピンチで信じるボールは何か。

 初球、狙い通り、外角に139キロ直球が来た。コンパクトに振り抜く。打球が中堅に抜け、2者がかえった。続く4番高田は、131キロの力ない直球を、左越えに運んだ。もう止まらない。木暮、斎藤、西川とさらに3連打。連投の疲れでボールに力がない安楽から一気に7点を奪い、試合を決めた。

 怪腕を打ち砕き、エースが完投。78年創部以来、春夏通算20度目にして初めて決勝に進出し、頂点に立った。ウイニングボールをポケットにしまった森士(おさむ)監督(48)は「夢のようですね」と言った。県では勝てても、甲子園では勝てない-。05年春から、11年春まで甲子園で5季連続初戦敗退の屈辱を味わった。内弁慶と揶揄(やゆ)された。何かを変えないと全国では勝てない。

 森監督は「ポテンシャルの高いチームは(過去)もっとあった」と言う。それでも勝てなかった。技術だけではなく、生活から変えた。自己責任をテーマに、大会前に初めてレギュラーを選手間選挙で決めた。自分以外の選手を1番から10番まで投票。エース小島は「周りから認められて1番になった」と自覚する。

 夜遅くまで行っていた練習は午後9時に打ち切り、午前5時からの早朝練習に変えた。グラウンドで浴びる太陽の光に希望を感じた。決勝当日の朝も午前5時起床。安楽対策に、150キロ近い打撃マシンをマウンドの3~4メートル前に設置し、振り込んできた。

 昨年12月には2泊3日で2年連続宮城・石巻市にボランティアで出向いた。選手たちが炊き出しを行い、小中学生と野球で交流した。山根主将は「ずっとパワーをもらってます」と言う。東北絆枠が新設された記念大会。最後に笑ったのは、強くなった浦和学院だった。【前田祐輔】