1969年夏の全国高校野球選手権大会で優勝した愛媛・松山商元監督の一色俊作(いっしき・しゅんさく)氏が24日午前5時、虚血性心不全のため松山市内の自宅で死去した。75歳。松山市出身。葬儀・告別式は26日午後1時から松山市湊町6の3の5、ムラタホール市駅で。喪主は長男敏徳(としのり)氏。69年夏の甲子園大会決勝では太田幸司投手を擁する青森・三沢高と対戦。0-0で延長18回引き分け、翌日の再試合を制し、高校野球史に残る名勝負を繰り広げた。90年には愛媛・新田高を率いて選抜大会で準優勝を果たした。
1969年夏の全国高校野球選手権大会で優勝した愛媛・松山商元監督の一色俊作(いっしき・しゅんさく)氏が24日午前5時、虚血性心不全のため松山市内の自宅で死去した。75歳。松山市出身。葬儀・告別式は26日午後1時から松山市湊町6の3の5、ムラタホール市駅で。喪主は長男敏徳(としのり)氏。69年夏の甲子園大会決勝では太田幸司投手を擁する青森・三沢高と対戦。0-0で延長18回引き分け、翌日の再試合を制し、高校野球史に残る名勝負を繰り広げた。90年には愛媛・新田高を率いて選抜大会で準優勝を果たした。
【センバツ】寺の息子 山梨学院・河内佑樹、強運で野球継続の危機乗り越え 年末は仏像磨きに精
【センバツ】青森山田・桜田朔、4回途中5失点に悔し涙「真っすぐに全然気持ちが…」
【センバツ】青森山田エース関浩一郎が意地0封投球 5失点桜田朔の涙に「これ以上点やらない」
【女子センバツ】東海大静岡翔洋が静岡県勢初の決勝進出 4・7東京ドームで神戸弘陵と対戦
【センバツ】野球を辞めたかった…苦難乗り越えた青森山田・桜田朔は夏へ再び立ちあがる