<全国高校野球選手権:明徳義塾2-1瀬戸内>◇13日◇2回戦

 山岡、無念-。瀬戸内(広島)が明徳義塾(高知)に1-2で競り負け、初戦敗退した。エースの山岡泰輔投手(3年)が5回にソロ弾を許し、広島大会から34イニングぶりに失点。攻めては6回1死二塁から3番沖繁優一外野手(3年)の左前適時打で1点を返したが、及ばなかった。8回6安打、9奪三振の力投だった山岡は「楽しかった」と涙なく甲子園を後にした。

 最後までエース山岡は笑顔だった。「楽しく最後まで投げました。いいピッチャーと投げ合えて幸せでした」。

 34イニングぶりの失点が決勝点となってしまった。0-0で迎えた5回、先頭宋に左翼席へソロ弾を許した。自慢のスライダーが甘く入った。「失投ですね。宋君は打ち損なわなかったのですごい」。素直に脱帽した。広島大会準決勝、広島工戦の5回以降、33イニング0を並べていた。

 決勝の新庄戦は延長15回の再試合。2試合を無失点で投げ抜いた。それまで痛めていた右肘に腫れが出て、投げ込みができずにこの試合に臨んでいた。それでも投げ続けたかった。「もっと投げたかった。そうしたらもうちょっと楽しかったかも」と初戦敗退に悔いた。

 決勝再試合でも「どうせなら、もう1回再試合でもいいかなと思った」と言ったぐらい、投げることが好き。小学2年からソフトボールを始めてから投手一筋。それでも高校2年の時に思うように結果が出ず「これが限界かも」と、ピッチングが楽しくない時期が続いた。先輩から「気持ちの問題だ」と言われ、自分の投球を考え直した。そこで生み出した強気のピッチング。この日、失点を許したが、ひるまなかった。6回1死一、二塁のピンチで本塁打を打たれた宋に打席が回った。「もう意地ですね」。打たれたスライダーで空振り三振に仕留めた。

 「社会人などを経て、肘を治してプロで活躍してほしい」と小川成海監督(63)。山岡は「勝てる投手になりたい。上の世界でまた甲子園に戻ってきたい」と、再び甲子園のマウンドに帰ってくることを誓った。【宮崎えり子】

 ◆山岡泰輔(やまおか・たいすけ)1995年(平7)9月22日、広島県生まれ。小学2年から「中野東ソフトボール・スポーツ少年団」に所属。瀬野川中野球部ではエースで県大会出場。瀬戸内では1年夏からベンチ入り。最速147キロで、変化球の持ち球はスライダー、カーブ、チェンジアップ。家族は両親と妹。172センチ、70キロ。右投げ左打ち。