<センバツ高校野球:池田4-3海南>◇22日◇1回戦

 甲子園に帰ってきた池田(徳島)がレジェンド超え!

 27年ぶり出場の古豪が同校センバツ史上初のサヨナラ勝ちで初戦を突破した。海南(和歌山)に3点を先行され、7回までわずか1安打ながら8回に2点を返す。9回無死満塁で林涼平外野手(3年)が逆転サヨナラの2点タイムリー。蔦文也監督(故人)が率い春夏3度の頂点に立った強打の「やまびこ」打線を思わせる攻撃で先輩もなしえなかった劇的勝利を収めた。

 地鳴りのような歓声も1球ごとに銀傘を揺るがす拍手も27年の時を超えてよみがえった。これが池田だ。1点を追う9回。先頭岡本が右前打で塁に出た。恩師・蔦文也元監督の魂が、岡田康志監督(52)に乗り移った。

 「送りバントの選択肢は全くなかった。打たせていこうと。イチかバチかでした」。強攻した木村の打球は遊撃手の失策を誘った。藤田には初球、セーフティーバントを指示すると、投前への内野安打になった。攻めの采配で無死満塁。8回に代打で三塁前セーフティーバントを決めた林に、2打席目が回った。

 林は手袋をはめるのを忘れるほど緊張して体が震えていた。「力が入りすぎてうまく押し込めなかった」。前進守備の遊撃手のグラブに吸い込まれるかに見えた打球は、中前に抜けていった。92年夏3回戦(神港学園戦)の前回勝利と同じ逆転のサヨナラ勝ち。「プチやまびこ打線で行けると思っていました」。白のメガホンで埋まったアルプス席が躍り上がるのが見えた。今度は歓喜で体が震えた。

 レジェンド「やまびこ打線」もなしえなかった春の劇的サヨナラ勝利。呼び込んだのは白髪の名将の精神だった。「“運”とは“運ぶ”と書くじゃろう。勝負事は動いて動いて動かなければ、運は巡って来んのじゃ」。蔦元監督から岡田監督に伝えられた必勝の精神。8回には先頭でチーム初長打の喜多に代走を送り、続く細田に代打。これが実り、無死一、三塁で反撃の一打を放ったのが名西(なにし)だった。

 「池田で育った仲間と甲子園に来たのは、今では運命だと思っています」と言うエース名西は、続ける自信がなく、中学で野球をやめるつもりだった。三好中2年のとき、指導を受けた池田OB片山徹さん(46)の「投手をやりなさい」の言葉が転機になった。85年春4強の大先輩との出会いがなければこの日はなかった。「責任を果たせたかなと思います」と全員でつかんだ1勝をかみしめた。

 2年前につくられた「ヤマト寮」の名前には宇宙戦艦ヤマトのように浮上、再発進の願いもこもる。新生・池田の発進を祝う「たたえよ

 池高」の校歌。「これまでの苦労が吹き飛びました」。万感の思いで岡田監督はアルプス席に頭を下げた。【堀まどか】