高校野球で春3度の甲子園出場がある鵡川に、初のOBコーチが誕生した。02年センバツ出場時のエースで、今月から就任した鬼海将一コーチ(29)が10日、むかわ町内のグラウンドで本格的な指導を初めて行った。現役当時、監督として指導を受けた佐藤茂富前監督(73)が、3月限りで寮監も退任し野球部から離れた。OBコーチは「鵡川野球」を引き継ぎ、後輩たちと再び甲子園を目指す。

 

 12年ぶりだった。鵡川OBの鬼海コーチが母校グラウンドに戻ってきた。本格的な指導初日。早速、後輩たちにノックを打ち、助言を送った。「本気でやれば、向こう(選手)も絶対本気になる。そう佐藤先生にも言われたし、自分たちもそうやってもらった」。熱血指導のスタートだった。

 昨夏、恩師の佐藤前監督からもらった電話の声に違和感を覚えた。「もしかして高校野球から姿を消すのかな」。その予感は的中し、3月いっぱいで鵡川から離れることが決まった。以前から「戻って来い。お前にやってほしい」と言われてきたこともあり「今しかない」と決断。4月からむかわ町職員になり、母校のコーチに就任した。

 恩師から教わった考えを後輩たちに注入する。筑波大卒業後、尽誠学園(香川)や大阪、群馬などでコーチを務めた。全国各地で鵡川の名を口にすると「あの全力疾走の」と言われ、誇りを感じていた。「僕の原点は間違いなくここ。その野球でもう1度、北海道の野球を盛り上げたいんです」と、母校への思いを口にした。

 あいさつなど生活面を重視する。「技術じゃないところに魅力があれば、人は引きつけられる。そんな愛されるチームは自然と勝利がついてくる」。寮では選手と寝食をともにし、礼儀などを身をもって教えていく。人間性が豊かなチームとなった時、その先に高校球児あこがれの甲子園が待っていると信じている。

 鵡川初の甲子園出場だった02年センバツ時の主戦で、1回戦(三木に12-8)で勝利も味わった。折霜忠紀監督(56)を支え、後輩たちと目指す大舞台。「連れて行ってやりたいではなく、あいつらに連れて行ってもらいたい」。恩師がモットーにしていた「元気、本気、一気」の「三気」を胸に、再び聖地を見据えている。【保坂果那】

 ◆鬼海将一(きかい・しょういち)1984年(昭59)4月17日、新冠町生まれ。新冠中から鵡川へ進学し、2年秋の全道大会でエースとして8強進出。21世紀枠で02年センバツに出場。筑波大進学後、投手から野手に転向。4年秋に明治神宮大会出場。卒業後の07年4月から尽誠学園(香川)でコーチを務め、小樽水産、関東学園大(群馬)などのコーチを経て12年8月から大阪偕成学園のコーチを務めていた。