<高校野球茨城大会:藤代12-3霞ケ浦>◇25日◇決勝◇水戸市民球場

 藤代が打線爆発で霞ケ浦に大勝し、11年以来3年ぶり3度目の甲子園出場を果たした。初回にいきなり打者10人の猛攻で5点を奪い、試合を一方的にした。7番浜渡(はまわたり)遼右翼手(3年)は、3回1死三塁で左越えに2ランを放つなど、4安打4打点の活躍で甲子園へと導いた。

 夢の舞台へつながる、美しい放物線だった。浜渡が放った打球は高々と上がり、左翼席に吸い込まれた。3回1死三塁。失策で出塁した5番小林慧太三塁手(3年)を6番古谷勇斗捕手(3年)がバントで送り、チャンスで打席が回ってきた。「(霞ケ浦の)上野君はストレートが走っていなかった。インコースを狙っていました」。内角直球を逃さずに振り抜くと、打球はフェンスを越えた。

 「秋の借りを返したいと思っていました」と振り返った。昨秋の県大会では上野に抑えられ、0-8でコールド負け。悔しさを晴らす一撃が、うれしい公式戦初本塁打だった。「1本いい当たりが出れば、乗っていけると思っていました」と、この日4安打4打点の固め打ち。三塁打が出ればサイクルヒットという活躍だった。相手投手のタイプによって高橋卓久真(たくま)外野手(3年)と出場機会を分け合う。レギュラーとして固定されてはいないが、「チームで一番左投手が得意。上野君を打つために使った」と評する菊地一郎監督(44)の期待に応えてみせた。

 霞ケ浦のエース上野とは、中学時代に取手シニアでチームメートだった。中学3年時には全国優勝も経験したが、浜渡は控えだった。主力選手の手伝いをしながら、マウンドに立つ上野をベンチから見守っていた。互いに進学先が決まった中3の冬。「上野のいる霞ケ浦を倒して甲子園に行くから」と話したら、「ありえない」と返されたこともあった。ついに打ち崩した最後の夏。試合後、上野から掛けられた言葉は「俺たちの分まで頑張ってくれ」だった。ずっと前を歩いていた存在を超えた瞬間だった。

 「藤代のユニホームを着て野球をしたい」。小学生の頃から持ち続けた夢は、8月も続く。【岡崎悠利】

 ◆藤代

 1973年(昭48)創立の県立校。生徒数は721人(女子350人)。野球部は74年創部で部員数は1年26人、2年27人、3年23人の計76人。甲子園出場は春2度、夏は3度目。所在地は取手市毛有640。宮内健治校長。◆Vへの足跡◆2回戦3-1下館工3回戦11-4太田一4回戦3-2麻生準々決勝7-3土浦湖北準決勝5-1常総学院決勝12-3霞ケ浦