<高校野球熊本大会:城北2-1文徳>◇25日◇決勝◇藤崎台

 ノーシードから頂点をつかんだ。城北が文徳を振り切り、08年以来6年ぶり4度目の夏切符をつかんだ。シード校4校を撃破しての優勝は熊本県大会初。末次敬典監督(63)が、辛抱を重ね育ててきたナインが勝ち上がるごとに成長し、ミラクルを起こした。

 1点差に迫られた9回裏2死、城北は背番号「1」の諸冨将士投手(3年)がマウンドに登った。しかし連続で死球を与えた。わずか2球で一、二塁とサヨナラ負けのピンチになった。スタメン唯一の2年生捕手・与座嵩平が駆け寄り「ここまできたら気持ちだろ!」。普段から試合中は敬語なしだが、今までにない強い口調で気合を入れた。

 続く打者の打球は快音を残したが中飛。諸冨は両手を挙げ、歓喜の輪ができた。「胴上げ投手ではないですよ。熊本大会ではみんなに助けられた」と安堵(あんど)の表情を見せた。

 192センチ、最速142キロの右腕はプロの注目も集める。だが、春は腰痛などケガに泣かされ調子が上がらなかった。準々決勝の九州学院戦では8回から投げ4点のリードを追いつかれた。それでも末次監督は「全幅の信頼を置いている。もっと成長してほしいと思って出した」と、この日も最後に起用した。

 打っては5番小山将朋外野手(3年)が末次監督の我慢に応えた。8回2死一、二塁で左翼フェンス直撃の先制2点二塁打。「その打席だけ打てる気がしたんです」。試合前まで14打数1安打。それでも、つきっきりで居残りフリー打撃で指導を受けた。末次監督は「最後まで信じました。この日のために取っておいたのかな」とうれしそうに笑った。

 「(監督生活)35年で一番ひどいチーム」からのスタートだった。バントなどの小技ができなかった。春季大会後、徹底してバント、守備、チームプレーを繰り返し、チーム力を上げた。6月下旬の神奈川遠征で、東海大相模などと互角に戦ったことで自信を持って夏の大会を迎えた。我慢が実った夏。「甲子園では暴れたい」。あとは諸冨が完全復活するだけだ。【石橋隆雄】

 ◆城北

 1950年(昭25)に松浦洋裁教習所として創設された私立校で、68年に現在の校名となった。普通科、調理科、看護科、社会福祉科があり、生徒数は655人(女子354人)。野球部は68年創部で、部員数は88人。OBにソフトバンク牧原大成らがいる。熊本県山鹿市志々岐798。竹原英治校長。◆Vへの足跡◆2回戦3―1菊池3回戦10―1熊本高専八代4回戦7―4多良木準々決勝5―4九州学院準決勝8―2熊本工決勝2―1文徳