<高校野球神奈川大会:東海大相模13-0向上>◇30日◇決勝◇横浜スタジアム

 神奈川の「新ドクターK」が、甲子園に参上する。東海大相模(神奈川)・吉田凌投手(2年)が、向上との決勝戦で8回2/3を3安打無失点、神奈川大会タイ記録の20奪三振と快投。楽天松井裕を手本にした縦のスライダーを武器に、松井が桐光学園2年夏の県大会で記録した17奪三振を上回る“本家超え”。チームは圧勝し、10年以来の代表をゲット。5月に亡くなった原貢氏(享年79)が監督として優勝した70年以来2度目の全国制覇を狙う。

 大声援は耳に入らなかった。9回1死。背番号11の吉田が135球目を投じる。向上の4番打者(右打者)の外角へ逃げるようにボールが落ち、バットは空を切った。20個目の三振。9回2死にもかかわらず、ゲームセットのように横浜スタジアムが沸いた。今大会初先発の2年生右腕は「今さっき言われるまで(数は)知りませんでした」と、ひょうひょうとしていた。

 ちょうど1年前は、同じ球場で打ちひしがれていた。横浜との準決勝。1年生ながら先発し、6回につかまり降板。未熟さを痛感した。「腕の振りが緩くなり、変化球を見抜かれました。横の変化だけでは通用しないと分かりました」。投球に幅を広げるため、習得を試みたのが楽天松井裕の「縦スラ」。映像を見て研究し、冬場は1日多い時には400球を投げ込み、約半分をスライダーに費やした。直球と同じ腕の振りで真上から振り下ろすフォームを身につけた。まさに“本家”ばりの奪三振マシンと化し、この日の20個のうち14個がスライダーと、進化を見せつけた。

 潜在能力は高かった。父和則さん(44)は「小6の時に息子が投げた球が打ち返せませんでした。とにかく子どものころから地肩が強かったです」と笑いながら振り返るほど、投手としての能力にたけていた。同じ時期に行われた陸上競技大会のソフトボール投げでは、26年ぶりに兵庫大会の記録を塗り替えた。兵庫・北播(ほくばん)シニア時代、中2で出場した「タイガースカップ」の初戦で130キロ台後半の直球を投げ、1-0で完封。一気に脚光を浴び「スーパー中学生」の名をほしいままにした。関東、関西の強豪など数十校の選択肢があったが、周囲の薦めとタテジマへの憧れから東海大相模に決めた。

 涼しい顔で投げたが、重圧はあった。3年生にとって最後の甲子園をかけた決勝のマウンド。胴上げ投手はエース青島凌也(3年)に譲った。歓喜の瞬間はベンチで見届けたが、涙が止まらなかった。「ちょっと出来すぎな気もしますが、やってきたことがしっかり出せました。神奈川の代表として、優勝旗を神奈川に持って帰りたいです」。4人が140キロ台をマークする強力投手陣。大一番を投げ抜いたその表情は、自信に満ちあふれていた。【和田美保】<吉田凌(よしだ・りょう)アラカルト>

 ◆略歴

 1997年(平9)6月20日、兵庫・西脇市生まれ。小1で「西脇スポーツ少年団」で野球を始め、西脇東中時代は「兵庫北播シニア」で投手。高校では1年春からベンチ入り。家族は両親と、中3、中1、小4の弟と、小1の妹が1人。右投げ右打ち。

 ◆サイズ

 181センチ、72キロ。足のサイズは27・5センチ。

 ◆身体能力

 50メートル走は6秒2。遠投は110~115メートル。

 ◆球種

 直球は最速149キロ。カーブ、縦と横のスライダー。

 ◆リラックス法

 音楽を聴きながらジョギングをすること。

 ◆好き嫌い

 ハンバーグが好物で野菜が苦手。

 ◆神奈川最多タイ

 吉田の20奪三振は、夏の神奈川大会では25年ぶり4人目の大会最多タイ。過去3人は4回戦までに記録しており、準々決勝以降では初めて。12年夏の甲子園で今治西から22奪三振の大会新記録をマークした松井裕樹は、夏の神奈川大会では17個が最多だった。

 ◆吉田の奪三振率

 吉田は神奈川大会で17回1/3を投げ39奪三振。奪三振率(9回あたりの個数)は20・3個。ちなみに12年夏の松井裕樹の奪三振率は神奈川大会で13・2個(46回1/3で68個)、甲子園で17個(36回で68個)。

 ◆東海大相模

 1963年(昭38)に東海大の付属校として創立された私立校。生徒数は1819人(女子753人)。野球部も創立と同時に創部。部員数は88人。甲子園は夏は今回で9度(優勝1回)、春9度出場(同2回)。主なOBは巨人原辰徳監督、柔道家の山下泰裕氏ら。所在地は相模原市南区相南3の33の1。大金真人校長。◆Vへの足跡◆2回戦19-0逗葉3回戦5-0横浜サイエンスフロンティア4回戦5-0湘南学院5回戦12-3法政二準々決勝14-2橘学苑準決勝5-3横浜決勝13-0向上