<全国高校軟式野球:中京0-0崇徳>◇29日◇準決勝◇兵庫・明石トーカロ

 球史に残る激闘は2度目の「水入り」となった。第59回全国高校軟式野球選手権大会の準決勝で、28日に0-0で延長15回サスペンデッドゲーム(一時停止試合)となった中京(岐阜)と崇徳(広島)の試合が兵庫県の明石トーカロ球場で延長16回から再開されたが、延長30回を戦っても両軍無得点。再びサスペンデッドゲームで決着は持ち越された。中京・松井大河投手(3年)、崇徳・石岡樹輝弥投手(3年)の両エースがともに30回を1人で投げ抜く死闘。今日30日午前11時に、延長31回から同球場で再開される。

 1点が遠い。勝利の女神は再び、どちらにもほほ笑まなかった。延長30回裏。崇徳が四死球と安打で1死満塁も、4番の沖西が投ゴロに倒れ、併殺でこの日の幕は下りた。崇徳・中河和也監督(30)は「ここまでの試合になると思わなかった。できれば勝負をつけたかった」とため息をついた。

 死力を尽くした30回、計6時間16分に及ぶ戦いの結末は、またも翌日へ持ち越された。同大会は日程の消化を優先させるため、延長15回引き分け再試合ではなく、サスペンデッドゲーム(一時停止試合)を採用。日本高野連によると、これまでの大会最長は1981年と83年に記録された25回。前例のない死闘は、ついに3日目に突入する。

 28日も15回まで戦って無得点。中京は9回に無死三塁の好機を生かせず、崇徳も11回に2死一、三塁のサヨナラのチャンスを逸した。29日も序盤に好機が訪れたが、中京・松井、崇徳・石岡がともに調子を上げ、ホームを踏ませなかった。松井が「強気を前面に押し出した」と言えば、石岡も「先に打たれるわけにはいかなかった」。闘争心をあらわにし、凡打の山を築いた。

 とはいえ2日間、ともに1人でマウンドを守ってきた疲労は深刻だ。432球を投げた松井は「精神的にも体力的にも相当こたえている」と、話すのもやっとの様子。391球を投じた石岡は「(広島市の土砂災害で)被災した方々を元気づける思いで投げた」と笑顔だったが、打線の援護を待ち望む気持ちは同じだ。

 得点圏に走者を送って決定打が出ない状況に、中京・平中亮太監督(33)は「勝ちきれないのは私の責任」と後手に回った采配を悔やんだ。31回から再開される3日目に向け、「次はここぞという場面で動く」と先手を意識。対する崇徳・中河監督は「とにかく気持ちで負けないこと」と精神面を説いた。均衡は破れるのか-。歴史的な一戦に、全力を尽くして1点を奪いにいく。

 ◆サスペンデッドゲーム(一時停止試合)

 悪天候、設備の故障などにより試合継続が不可能となった場合、その日のプレーを打ち切り、残りを後日行うこと。中断時と同じ状況から再開する。全国高校軟式野球大会では準決勝までに適用され、15回ごとにいったん試合を打ち切り、後日次の回から再開する。試合が継続しているため、再開した回で決着する場合もあり、1度退くと再びその試合に出場できない。日本高野連は硬式に比べ、軟式は投手の肘や肩への負担が軽く、日程の消化も進むため採用している。決勝は硬式と同様に15回で引き分け再試合となる。<主な延長戦>

 ◆45回

 83年9月20日に行われた天皇賜杯全日本軟式野球大会決勝で、ライト工業(東京)が延長45回の末に田中病院(宮崎)を2-1で下して優勝。8時間19分の死闘に敗れた田中病院の池内雄一郎投手は1人で522球を投げた。

 ◆再々試合

 03年夏の高校野球福井大会1回戦で、敦賀気比-大野東は7月21日に5-5で15回引き分け、翌22日も3-3で15回引き分け。3試合目(24日)に6-1で敦賀気比が勝った。3試合39回で計8時間42分。

 ◆甲子園

 33年夏の準決勝で中京商が延長25回、1-0で明石中にサヨナラ勝ち(4時間55分)。中京商の吉田正男投手は336球投げた。

 ◆プロ野球

 42年5月24日の大洋4-4名古屋(後楽園)の28回日没引き分けがプロ野球最長。大リーグ最長の26回(20年5月1日ブレーブス1-1ドジャース)より長かった。

 ◆マイナー

 81年4月18日の3Aポータケット-ロチェスターは延長33回、8時間25分の最長記録。翌19日の午前4時過ぎまで行われた後、2カ月後の6月23日に再開され、ポ軍が3-2で勝った。「鉄人」カル・リプケンが、当時ロ軍の一員としてプレー。