<高校野球秋季福島大会:只見7-2会津工>◇14日◇1回戦◇白河グリーンスタジアム

 5年ぶり4度目出場の只見が会津工を下し、秋季県大会初勝利を挙げた。学法石川のエースとして84年夏の甲子園に出場し、社会人でプレーした長谷川清之監督(48)の指導を受けたいと町内外から集まった14人が、豪雪地帯のハンディを乗り越え新たな歴史を切り開いた。

 勝利の瞬間、只見のエース五十嵐翔月(かづき=2年)が右手を握りしめた。185キロの長身を生かしダイナミックに投げる右腕エース。8回に球が上ずり2点を失っても気持ちは切れない。9回、味方の失策で無死一塁となったが、続く3人を打ち取り141球を1人で投げきった。「秋に初めて勝ててうれしい」と大きな1勝を喜んだ。

 学校のある只見町は新潟との県境にある日本有数の豪雪地帯。野球部14人中、猪苗代町出身の五十嵐ら7人の部員は親元を離れ、町が支援する寮で生活しながら野球に励む。五十嵐は只見を選んだ理由を「長谷川監督のもとで野球がやりたかったから」と話す。

 率いて11年目になる長谷川監督は「(町内だけでは)部員が確保できない中、遠くからわざわざ選択してくれてありがたい」。社会人の住友金属鹿島でプレーした後、故郷である只見町へ帰郷。高校の向かいにある製材業の会社で働きながら、指導を続けてきた。

 冬の間、2メートル近い積雪でグラウンドは使えず、日々の練習はバスの時間に合わせ午後7時前に切り上げなくてはならない。そんなハンディは実戦で克服してきた。「ゴルフと一緒で打ちっぱなしじゃなく、コースに出ないとしょうがない」と長谷川監督は自らバスを運転し、県内外での練習試合を多く組んできた。この夏、新チームになってからは5日連続のダブルヘッダーを含む約30試合を消化し、試合勘を磨いてきた。

 この日は打線も13安打7点と好調。5打数4安打の4番八久保哲平(2年)は「歴史を変える」と強い気持ちでチャンスを呼び込んだ。「まず1勝。満足せずに次につなげたい」。勝利を重ね、人口約4000人の小さな町に明るい灯をともす。【高場泉穂】

 ◆只見高校

 1948年(昭23)に南会西部伊北分校として創立。64年に現校名。生徒数115人。野球部は76年創部。夏の最高成績は16強。只見町唯一の高校で、町と提携して02年から「山村教育留学制度」を導入し、県内外の生徒を受け入れている。所在地は只見町大字只見根岸2358。横山隆校長。