<高校野球南大阪大会:PL学園9-2清友>◇22日◇4回戦

 「清原2世」の呼び声が高いPL学園(南大阪)の勧野甲輝外野手(1年)が、清友戦で大会初アーチを打った。

 本塁打の始まりは清原と同じだった。PL学園1年の83年夏、大阪大会4回戦・吹田戦で清原は公式戦1号をかけた。KK伝説誕生の夏から25年。清原を追う1年生4番勧野が同じ4回戦で公式戦1号を放った。

 6-2で迎えた8回、2死二、三塁。カウント0-1からの外角高めストレートをとらえた打球は、住之江球場左中間外野フェンスを越えた。83年夏当時はコーチとして清原の1号を見た河野有道前監督(60)も「ボールのとらえ方といい、いいホームランだった」と目を細めた新4番の1号。推定飛距離115メートルの3ランでチームは7点差をつけ、裏の反撃を抑えて8回コールド勝ちを決めた。

 「すごくうれしかった。興奮しながら、一周しました」。高校1号は6月8日、九州学院(熊本)との練習試合で放っている。ただチームを2年ぶりの準々決勝に導いた公式戦1号の喜びは、格別だった。

 「富田林シニア」に所属していた富田林二中のころ、四球で歩かされるケースがほとんど。父雅央さん(48)は「中学時代のホームランは20本くらいでしょうか」と言う。まともに勝負されない状況で「中学からのクセで、ファーストストライクを見送るようになってしまっていた。8回は、思い切って打って行こうと思いました」と、この日初めて第1ストライクを打って結果を出した。信頼に応え、結果を出し、清原のあとを追う。その視線の先に甲子園がある。【堀まどか】