<アナタと選んだ史上最高物語(4)投手編>

 ◆史上最高の投手ベスト10<1>松坂大輔(横浜)<2>江川卓(作新学院)<3>桑田真澄(PL学園)<4>田中将大(駒大苫小牧)<5>斎藤佑樹(早実)<6>森尾和貴(西日本短大付)<7>石井毅(箕島)<7>尾崎行雄(浪商)<7>荒木大輔(早実)<7>川島堅(東亜学園)【「当たったら死ぬ」江川の球】

 少年野球でも草野球でも、野球の試合に出たことがある人ならば誰でも「あの時のピッチャーは凄かった…」という感慨を抱いている。私は草野球で先発村山実(222勝)、救援米田哲也(350勝)合わせて通算572勝の捕手をしたことがあるけれど、これは番外編の自慢話。

 実際に対戦した中で舌を巻いたのは江夏豊に尽きる。彼が大阪学院高3年の夏前。大阪学院高のグラウンドへ練習試合に行った。左翼側が狭くて塀を越えたら二塁打という変則ルールだったと思う。私は1学年下ではあるが、目の前で肩をそびやかして剛速球を投げ込む男が、同じ高校生とはとても思えなかった。恐ろしく速い球、恐ろしくふてぶてしいプレートさばき。1人だけ「オッさん」が紛れ込んで試合をしているようなものであった。

 それにしても速かった。試合前に同学年の友達に「あの球、当てられたらどうなる思う?」と何気なく聞いたら、彼は素っ気なく「死ぬ」と答えた。打席に入るのがはばかられた。

 江夏はその夏、大阪大会準決勝で桜塚に敗れ、甲子園の夢を断たれた。卒業後は阪神へ。私が高3の時にはタイガースの若き左腕エースとして12勝をあげ、翌年には25勝で最多勝。シーズン401奪三振のプロ野球記録も達成した。プロ野球でもやっぱりあの速球は超一級品だった。

 史上最高の投手。2位の倍の票数でぶっちぎりの1位となったのは松坂大輔である。「速球、投球術、スタミナ、精神力、実績、どれをとっても1、2位を争う存在」。確かに松坂は頼もしいエースだった。延長になっても平然と投げ続ける。チームの和を乱すお山の大将でもなかった。

 客観的に考えれば、この松坂に対抗し得るのは桑田真澄しかいないだろう。「5季連続甲子園に出た。すべてベスト4以上で甲子園20勝は破られることがない大記録です」。実績においては、松坂とはいえ桑田には差をつけられる。ただ桑田のPL学園は4番打者が清原和博。その他のチームメートも多士済々だった。つまり高校生離れした強いチームだったことが、甲子園20勝を支えたのだ。

 私は松坂と桑田の間、2位になった江川卓こそが史上最高の投手ではなかったか、と思う。「球が速くて手元でホップしていた」。作新学院3年の夏、記者席を抜け出してネット裏最前列で江川の投球を見た。浮き上がるがごとき快速球だった。体に当たったら「死ぬ」球だった。マウンドではニコリともしない無表情ながら、打者を飲んでかかる風情もエースらしかった。高校生だった江夏豊の醸し出した雰囲気とどこか似通っていた。

 江川は甲子園では勝ちきれない豪腕だった。しかし、おそらく江川卓という投手の全盛期は1973年の夏だったのではないか。法大、紆余曲折の末巨人入団と進んだが、巨人時代に甲子園で投げるエース江川には、もはや凄みが希薄になっていた。騒がれ過ぎる時間が、あまりにも長く、その間に全てが疲弊していったのかもしれない。(つづく=敬称略)【編集委員=井関

 真】

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