<アナタと選んだ史上最高物語(8)頭脳編>

 ◆史上最高の頭脳派ベスト10

 <1>桑田真澄(PL学園)<2>斎藤佑樹(早実)<3>木内幸男監督(取手二、常総学院)中村順司監督(PL学園)<5>菅原朗仁(秋田)<6>石井毅(箕島)石井好博(習志野)<8>村椿輝雄(魚津)市川武史(国立)工藤公康(名古屋電気)【恐るべき眼力

 桑田真澄】

 高校野球は学校のクラブ活動の一環だ。だから、もっとも優秀な野球部員は、野球も上手いが勉強も出来る生徒だと思っている。いわゆる文武両道。

 「史上最高の頭脳派は誰か?」は、それを念頭に置いた設問であった。野球は甲子園、進学は東大…。1980年、東京から都立高校が初めて甲子園に出場した。都立国立高校。少しややこしいが「くにたち」高校である。その年、春夏連覇を成し遂げる箕島に甲子園では惜敗した。バッテリーは市川武史-川幡卓也のコンビだった。この2人、ともに東大へ進学し、野球でも活躍した。まさに理想の野球部員!

 しかし、意外なことに市川武史には多くの票は集まらなかった。工藤公康(名古屋電気)と同じ票数というのは、果たして誇るべきなのかどうなのか。

 ファンは頭脳派と聞くと、とっさにマウンド上の投手を連想するらしい。「打者の間を外すのが憎たらしい位上手かった」「あの大舞台での冷静さ。本当に素晴らしかった」と、ハンカチ王子・斎藤佑樹(早実)への絶賛が続く。甲子園で人気者になりながら、いささかも浮つかなかった落ち着きは、ある意味高校生離れしていた。球を投げるコントロールも良かったが、それ以上に自らをコントロールする能力に優れていた。

 もちろん勉強の方もかなり優秀だったのだろう。早大へすんなりと進み、今や早大、いや大学球界のエース的存在だ。猛々しい剛球は投げ込まないが、制球力と冷静極まりないプレートさばきで、この先どんな投手となっていくのか。多くのファンが見守っている。

 この斎藤を抑えて、堂々の1位は桑田真澄(PL学園)である。1年夏から実に5季連続で甲子園出場を果たし、史上最多の通算20勝。プロ野球の20勝投手ではない。高校時代の甲子園だけで20勝を収めたのだ。こんな数字を残せる投手など、これから先も出現する可能性は極めて低い。

 そういえば桑田もドラフト前は早大進学を打ち出していた。それなりに学力も優秀だったのだろう。高校時代に寮で同じ部屋だったある選手に聞いた話を思い出す。彼は補欠の内野手。毎晩、食事後に桑田はトレーニングウエアで部屋を出て行く。彼は受験勉強が日課。もちろん桑田は自主練習としてランニングをしていたのだ。ある日、そんなエースの姿を見習って、彼も夜のランニングをした。部屋に帰ってきてくつろいでいると、やがて桑田が帰ってきた。

 「走ってたん?」「うん」「走るいうのは、もう死ぬんやないか、というギリギリのところまで自分を追い詰めることやで。そこまで行かないと、走っても何も身につかない。お前は勉強しといた方がエエで」。桑田にそう諭されたという。彼は勉強に精を出して進学、今は一般紙の記者として活躍している。

 彼我の行く末をしっかりと見極められる眼力は、球児の頃から恐ろしいばかりに正確だった。史上最高の頭脳派の面目躍如というところだろうか。(つづく=敬称略)【編集委員=井関

 真】

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