神奈川大会 優勝記事
東海大相模33年ぶりの夏/神奈川大会
- 33年ぶりに優勝を決め、染谷(右)と抱き合って喜ぶ東海大相模の一二三(撮影・山崎哲司)
- Vへの足跡
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東海大相模Vへの足跡 2回戦 10-1 横浜立野 3回戦 8-4 厚木北 4回戦 7-0 逗子開成 5回戦 5-0 鎌倉学園 準々決勝 6-2 慶応 準決勝 12-7 武相 決勝 9-3 横浜
<高校野球神奈川大会:東海大相模9-3横浜>◇7月30日◇決勝
東海大相模が激戦区・神奈川を制し、33年ぶり8度目の甲子園をつかんだ。ノーシードから勝ち上がった横浜に9-3の快勝。横手投げのエース一二三(ひふみ)慎太投手(3年)は、打たせてとる投球で4安打3失点に抑え9回を投げ抜いた。
9回裏2死三塁、横浜の代打を139キロの直球で内野ゴロに仕留めると、東海大相模・一二三は両拳を突き上げてほえた。「最後はまっすぐで勝負と決めてました。春つらい思いをしたので、ホントにうれしくて…」。門馬敬治監督(40)の胴上げでは、誰よりも高々と、腕を差し上げた。
長い4カ月だった。今春のセンバツでは大会NO・1の本格派右腕と注目されながら、初戦で敗れた。以来、投手としては当たり前の「投げること」にもがき苦しんできた。フォームの試行錯誤を繰り返し、上手を横手投げ変えた。主将の座も福山亮内野手(3年)に譲るほどった。
門馬監督も「センバツのあと一番苦しんだのは一二三です」と振り返る。試合後、そういって男泣きする同監督の姿を見て、一二三は横手投げに転向してちょうど1カ月、6月末にもらった監督からのメールを思い出した。「どんな状況でも、お前がエースなのは変わらない」。このメールで最後の夏を横手投げにかけると決めた。上手投げへの未練は断ち切った。「自分がもう1度、甲子園に連れて行きます」。一二三は門馬監督にこう返信した。
ロッテ渡辺俊介やホンダ真壁賢守ら下手、横手投手を参考に、フォームを固めていった。大会に入ってからも着実に成長。球威も徐々に増した。5回戦では自己最速の150キロをマークした。この日は4安打3失点(自責1)と危なげない投球で、監督との約束を守った。
雨で1日延期された決勝戦は81年以来29年ぶりだった。当時も横浜が相手で、3-9で敗れていた。そんな過去のスコアを見事にひっくり返し、夏は33年間優勝なしという呪縛(じゅばく)を、その右腕で解き放った。「これで、また甲子園に出られる。春の忘れ物を取りに行きます」。一二三が変身フォームだけでなく、たくましさも身につけて2度目の舞台に立つ。【鎌田良美】
[2010年7月31日 紙面から]
◆東海大相模 1963年(昭和38)東海大の付属校として創立された私立校。生徒数は1737人(女子725人)。野球部も創立と同時に創部。部員数は82人。甲子園は夏7度、春8回出場し、優勝はそれぞれ1回。春は準優勝も2回ある。主なOBは巨人原辰徳監督、柔道家の山下泰裕ら。所在地は相模原市南区相南3の33の1。大金眞人校長。
神奈川大会
優勝 | 参加校 | 組み合わせ表 | 春季大会優勝校 | 昨夏代表校 |
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東海大相模 (33年ぶり8回目) |
186校 | ダウンロード[PDF] | 桐光学院 | 横浜隼人 |
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