<高校野球佐賀大会>◇26日◇決勝

 佐賀学園の鉄腕エースが伝統校を封じ込み、6年ぶり6度目の甲子園出場を決めた。1人で投げ抜いてきた峰下智弘投手(3年)は、佐賀商の強力打線相手でも完投。9安打されたが、持ち味の走者を出してからの粘りで決定打を許さず、7-2の勝利に導いた。峰下は5試合45イニングで、自責2(失点3)。与えた四死球はこの日の2つだけという安定ぶりだった。

 最後までボールも表情も乱れない。9回裏2死無走者。甲子園まで「あと1人」になっても、峰下は無表情だった。変わらないテンポで投げ込み、最後の打者を投ゴロに打ち取る。終わったその瞬間、ようやく喜びを爆発させた。

 「悔いが残らないように攻める気持ちを忘れずにいきました」。1度もマウンドを譲らなかった絶対エース。1点を先行した直後の1回裏、同点適時打を浴びたが、これがこの夏初の自責点だった。それでも動揺など見せず、佐賀商の強力打線に立ち向かった。

 「感情を表情には出さないよう、心をコントロールしていました」。1年前の夏を忘れない。準決勝で伊万里農林に1-4。「走者をためると深呼吸をしたりして、相手にあせっていることを悟られてしまった」。高校野球生活が終わってしまった3年生の悔し涙を受け、連日10キロ走り込んだ。同時に心と感情の制御にも取り組んだ。就任40年目の巨瀬(こせ)博監督(61)に「峰下でここまできた。彼には何も言うことがない」と言わせるほどの信頼感だ。

 走り込んだ成果で、球速は5キロアップの最速140キロ。驚くべきは抜群の制球力だ。準決勝まで、与えた四死球は0。この日、6回1死後に初めて四球で歩かせたが、41イニング連続無四球。無駄な四死球を与えないことが、大量失点を生まないことを自らの投球で実証してみせた。

 中学時代は、主に遊撃手だった。巨瀬監督も「ボールのとらえ方がうまい」と打者として評価していた。しかし、1年秋に投手に抜てき。エースナンバーを与えた。「自覚と責任感を持たせるため」と、1度も番号は変えていない。峰下は「(1が)重かったときもあります」と明かすが、常に重圧と戦ってきた経験が、この大一番で実った。

 甲子園は、兄充義さんが済美(愛媛)で出場した6年前に応援に行った。その時「自分もここに来る」と強く誓った。「まだ現実感はないですね」。夢の舞台でも、喜びは表に出さずに投げ続ける。【実藤健一】