マーリンズのイチロー外野手(41)が日米通算の安打数で、往年の大打者タイ・カッブの大リーグ歴代2位4191安打と肩を並べた。約100年前に活躍した伝説の安打製造機は、どんな素顔の持ち主だったのか。孫のハーシェル・カッブ氏(72)が祖父との秘話を明かした。

 祖父が野球選手だと知ったのは、確か12歳の時だった。すでに引退から20年以上が過ぎていたが、実は私の両親と祖父の折り合いが悪くてね。8歳で父を亡くした後から親しくなり、思春期に父親代わりになってくれたのが祖父だった。

 10~18歳まで、夏休みになるとサンフランシスコ近郊の家やタホ湖のほとりに建つ別荘で一緒に過ごした。現役時代は野球一筋で子供たちとあまり接する時間を持てなかった祖父にしてみれば、親子関係をやり直す意味もあったようだ。私と弟妹には、時に優しく時に厳しく、人生の知恵を授けてくれる存在だった。

 祖父は自ら進んで野球の話をする人ではなかったが、物心がつけばいやでも私の耳に入る。称賛あり、そして悪口あり。いや、悪口の方が多かったな(笑い)。子供ながらに心配になって、12歳の時に思い切って聞いたんだ。「おじいさんは何をしていた人なの? 何か悪いことでもしたの?」って。

 すると、祖父は少し悲しげな表情を浮かべながら、「ちょっと手伝ってくれないか」と私1人だけを書斎に連れていった。そこにあったのは、山積みのファンレターと箱いっぱいのボール。祖父は私を隣に座らせ、サインしたボールを返信封筒に入れる手伝いをさせた。とつとつと思い出を語る祖父の横で「引退してもサインを欲しい人がこんなにいるんだ。悪い人なんかじゃない」と思い、涙が出たのを覚えているよ。

 祖父が他界した後、いろいろな人から「本当に優しい人だった」「よく面倒を見てもらった」と声を掛けられた。確かに現役時代は気性が短く、近寄りがたい雰囲気を持っていたのかもしれない。どんな選手だったのか自分でも調べてみた。さまざまなスライディングを生み出したことも有名で、後ろ足のつま先をベースに引っかけるフックスライディングも、二塁への併殺プレーを崩す方法も考え出したんだ。とてもクリエーティブな選手だった。私の子供たちに祖父との思い出を伝えたくて書き記したメモがある。13年にそれを1冊の本にまとめた。人間タイ・カッブの素顔を知ってもらいたかったんだ。

 野球好きは血筋なのか、今でも欠かさずメジャー情報はチェックしているし、試合観戦もよくする。打者ではイチローが見ていて楽しいね。打ってもよし、走ってもよし。パワーだけがすべてじゃないことをプレーで体現している。祖父がもし今現役だったら、きっと似たタイプの選手だったのではないか。祖父が41歳までに積み上げた安打記録を、41歳のイチローが破るというのも、偶然を感じずにはいられない。

 私がよく知るタイ・カッブは、祖父としての存在であり、球史に残る選手ではない。だが、野球ファンの立場から見ても、祖父の成績は偉大だと思うし、1度でいいから実際にプレーする姿を見たかった。【取材・構成=佐藤直子通信員】

 ◆ハーシェル・カッブ 1943年生まれ。タイ・カッブの次男ハーシェル・ロズウェル・カッブを父に持つ。祖父と過ごした10代の思い出をまとめた著書「Heart of a Tiger」を13年に出版。現在はカリフォルニア州サンフランシスコ郊外で、弁護士と不動産業を営む。