1安打=92年7月12日(オリックス)


92年7月12日、ダイエー戦でプロ初安打を放つイチロー
92年7月12日、ダイエー戦でプロ初安打を放つイチロー

 ダイエー戦に9番左翼でプロ初スタメン。5回の第2打席で初安打となる右前打を放った。


 イチロー 「ヒットはスライダーです。少し詰まりましたけど…。やっぱりうれしかったですよ」


1000安打=99年4月20日(オリックス)

99年4月21日付日刊スポーツ3面
99年4月21日付日刊スポーツ3面

 イチローにまた勲章が加わった。オリックス・イチロー外野手(25)は20日、東京ドームで行われた日本ハム戦で通算1000安打を達成した。通算757試合目での到達はブーマーが持つ記録を抜いてプロ野球史上最速ペースでの達成となった。日本ハム先発金村の開幕3試合連続完封の快挙を打ち砕くひと振りに東京ドームは沸いた。


イチロー 「この一瞬を楽しみにしている人に喜んでもらったら、それで良かったと思います」「ああいう(大差のついた)集中しにくい場面で集中できたことは評価したい」「打てば打つほど難しくなる」



日米2000安打=04年5月21日(マリナーズ)

04年5月23日付日刊スポーツ3面
04年5月23日付日刊スポーツ3面

 マリナーズ・イチロー外野手(30)が、日米通算2000安打の偉業を達成した。あと2本で迎えたタイガース戦で第2打席に中前打、続く第3打席に左腕ロバートソンから中前へはじき返し到達した。オリックスでの1軍定着から実質11シーズンというスピード到達。第4打席でも2試合連続3安打となる右前打を放ち、打率を3割3分2厘まで上昇させた。ドラフト4位でプロ入りした天才打者は、心身ともに円熟の域に達した。


イチロー 「うれしいという言葉は当たり前過ぎて使いたくないですが、そういう気持ちです。ファンの人たちが喜んでくれて、そのことに感激しました。日本での記録について、…という部分もありましたから」「3000本? 期待してもらうのはいくらでも結構。そういうプレッシャーを感じられる選手でありたいですし、プレッシャーのない平凡な選手でいるよりも、そんなに幸せか」



日米3000安打=08年7月29日(マリナーズ)

08年7月31日付日刊スポーツ1面
08年7月31日付日刊スポーツ1面

 ついに、大記録に手が届いた。マリナーズ・イチロー外野手(34)が、日米通算3000安打を達成した。あと「1」としてレンジャーズ戦の初回、第1打席の初球を左前打。通算2175試合で大記録に到達した。92年7月12日のプロ初安打以来、日本で1278本、メジャーで1722本を積み重ねた。第4打席には3001本目となる適時中前打を放ち、5打数2安打1打点。今後は8年連続200安打、さらには張本勲氏が持つ3085安打の日本最多記録、日米通算4000安打と、新たな記録を目指して打ち続ける。


イチロー 「1球目で決めようと思った。本塁打にすれば一番いいと思ってね」「210本を打って給料が10倍になった。あの時から自分が背負っている責任を考えるようになりました。自分の行動や発言によって、大きな影響が出ることを知りましたから」「(年齢に伴う衰えとも闘うことになるが)そうならないためにも、抜きながらやらないといけない。抜くと言っても誤解しないで下さい。計画通りにならなかったら変える。そうしないと前に進むことはできない」



日米3999安打=13年8月20日(ヤンキース)

13年8月22日付日刊スポーツ終面
13年8月22日付日刊スポーツ終面

 マジック「イチ」で大記録達成の舞台を整えた。ヤンキースのイチロー外野手(39)がブルージェイズとのダブルヘッダー第1試合に「2番右翼」で出場し、5打数2安打で日米通算4000安打にあと「1」と迫った。第2試合はスタメンから外れ、9回無死一塁で代走に起用され、三盗を決めるなどサヨナラのホームを踏んだ。ダブルヘッダーの連勝に貢献し、8月21日のブ軍戦でいよいよ夢の大台到達に挑む。


イチロー 「打たなきゃいけないと思っているのは毎回です。ただ、それ(期待感)は加味されるでしょう。普段ないものが目の前にあるんだからね」「ニューヨークで打ったヒットなんてそんなにないのにね。そこはうれしいですね」



日米4000安打=13年8月21日(ヤンキース)

13年8月23日付日刊スポーツ終面
13年8月23日付日刊スポーツ終面

 イチローが「伝説」になった―。ヤンキースのイチロー外野手(39)が、日米通算4000安打を達成した。あと1本で迎えたブルージェイズ戦に「2番右翼」で出場し、第1打席にRA・ディッキー投手(38)のナックルボールを左前へ鮮やかに運んだ。オリックス時代の1278本に、メジャーで2722本を加え、日米合算とはいえタイ・カッブ、ピート・ローズに次ぐ記録は、米国内でも大きな脚光を浴びる偉業となった。依然として肉体的な変化を見せないイチローが、次の記録へ向けて新たなスタートを切った。


イチロー (ヤンキースのチームメートや地元ファンだけではなく、。敵のブルージェイズも川崎をはじめ、全員が拍手)「ただただ感激しました。半泣きになりました」「4000本を打つのに8000回以上、悔しい思いをしてきた。そこに自分なりに向き合ってこれた。誇れるとしたら、そこじゃないですかね」「(プロ入り当時は)18歳のガキ。野球のことは何も知らなかった。嫌々打った1本目と、試合に出たくて打った4000本目。そこにおもしろみはありますね」