マーリンズのイチロー外野手(42)が、史上30人目のメジャー通算3000安打を達成した。あと1本として迎えたロッキーズ戦に「6番右翼」で先発し、7回の第4打席に右越えの三塁打を放った。メジャー16年目での到達は、通算4256安打の最多記録を持つピート・ローズに並ぶ最速。米国野球殿堂入りの目安の数字に達し、将来的に日本選手で初めて殿堂入りすることがほぼ確実となった。

 ポーカーフェースに、少しずつ笑みが広がった。メジャー3000本目となる安打に試合が中断され、チームメートが三塁へ駆け寄った。敵地ファンも総立ちで、球場全体が偉業を祝福した。ベンチから飛び出してきた同僚のはしゃぐ顔を見て、万感の思いがよぎった。ゴードンを皮切りに、最後はボンズ打撃コーチと抱擁した。数字よりも、周囲の反応に心が動いた。

 「3000という数字よりも、僕が何かをすることで他人が喜んでくれることが、今の僕にとって何より大事なものだということを再認識した瞬間でした」。ベンチへ戻り、鼓動が静まると、サングラスの奥をひと筋の涙が頬を伝った。

 数々の偉業を遂げ、「記録慣れ」したはずでも、重圧との闘いは避けて通れなかった。3000安打まで残り2本となってから、7試合、11打席で無安打に終わった。代打起用が多くなり、安定した打撃を続けることが難しくなった。さらに重圧が加わり、日増しに表情は険しくなった。「人に会いたくない時間もたくさんありました。だれともしゃべりたくない。なかなかうまくいかず、という苦しい時間でした」と吐露した。

 プロ入り以来、「技」と「心」の間で、せめぎ合いの日々を過ごしてきた。技術的に最上の感覚をつかんでも、容赦ない周囲の視線や逆風による重圧と闘うことはしばしばあった。10年連続でシーズン200安打、WBC決勝…。食事が喉を通らず、吐き気をもよおすほど「心」が追い詰められても、最後に頼れるのは「技」だった。

 マ軍へ移籍した昨季は、153試合に出場しながらも91安打、打率2割2分9厘と自己ワーストに低迷。「目を疑うような数字」と振り返った。迎えた今季は、昨年の白木バットから漆黒に戻した。通常の1度塗りではなく、入念に2度塗りした黒バットは、わずかな傷でも判別しやすい。単なる色違いというだけでなく、メジャー1年目から使い慣れた黒は、イチローの技の「原点」でもあった。

 打撃の微調整も例年より早めに着手し、年間最多262安打をマークした04年当時に近い、バットのヘッドを少し寝かせた形に落ち着いた。例年のスロースターターが、今季は開幕までに確認を完了。出場機会の少なかった4月は10安打に終わったが、好感触はつかんでいた。親しい関係者に「感覚が戻った」と漏らしたのも、そのころだった。

 球界最年長野手となった今季、ピート・ローズを超え、ついに3000本も超えた。「この先は子供の時のように…。プロである以上、それは不可能なことですけど、感情を無にしてきたところを、うれしかったらそれなりの感情、悔しかったら悔しい感情を、少しだけ見せられるようになったらいいなと思います」と柔らかな笑みを浮かべた。

 今後しばらくは、記録を追い求められてプレーする必要はない。感情を押し殺し、重圧と闘い続けた日々に、イチローは、ひと筋の涙で、区切りを付けたのかもしれない。【四竈衛】

 ◆イチロー(本名・鈴木一朗=すずき・いちろう)1973年(昭48)10月22日、愛知県生まれ。愛工大名電高では投手で甲子園に2度出場。91年ドラフト4位でオリックス入団。94年に史上初めてシーズン200安打に到達(210安打)。00年まで7年連続首位打者。00年オフにポスティング制度でマリナーズ移籍。新人で首位打者、盗塁王とMVPに輝いた。04年に大リーグ新記録の262安打を放ち、2度目の首位打者。大リーグでは01~10年に史上初の10年連続200安打。ゴールドグラブ賞、球宴出場各10度。07年オールスターでは史上初のランニング本塁打を放ちMVP。12年7月にマイナー2選手とのトレードでヤンキース移籍。15年からマーリンズでプレー。180センチ、77キロ。右投げ左打ち。家族は弓子夫人。