プレーバック日刊スポーツ! 過去の8月30日付紙面を振り返ります。2001年の1面(東京版)はイチローの日米200安打達成でした。

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<デビルレイズ6-0マリナーズ>◇2001年8月28日(日本時間29日)◇トロピカーナ・フィールド

 【セントピーターズバーグ(米フロリダ州)28日(日本時間29日)】シアトル・マリナーズのイチロー外野手(27)が、今季メジャー最速スピードで200本安打に到達した。198安打で迎えたデビルレイズ戦で3打数2安打を放ち、今季132試合目で大台に到達。マ軍史上では、A・ロドリゲス(現レンジャーズ)に続く史上2人目の200本安打を記録した。残り30試合で新人記録の223安打を上回る可能性は大。日本では国民栄誉賞の声も出始めた。

 少しばかり詰まっていても、両手に残る感触は、打球の転がる先を察知していた。第1打席に199本目を放ち、王手をかけて迎えた第4打席。内角寄り144キロの直球を中前へゴロで運んだ。メジャー初安打と同じ、いかにもイチローらしい中前安打での大台到達。イチロー自身にとっての充実感は格別だった。

 「日本にいる時から何か数字を挙げろと言われたら200という数字を目標にしてきました。そういう意味では自信になり、うれしいと思います」。めったに数字に関するこだわりや、自己分析をしないイチローにとっては、最大限ともいえる喜びの表現だった。

 メジャー初打席に立った時点で、200という数字はまったく考えていなかった。マ軍のユニホームを着て、打席に立つ快感がイチローの気持ちのすべてだった。だが、試合をこなすたびに、自分の中で「やれる」という意識が膨らんだ。打ち取られても、それほど歯ごたえのある相手を求めていた充実感も大きかった。94年、210安打を放った当時とは、また感慨が違うのも当然だった。「野球そのものが違いますから単純に比べることはできませんね」。未知の世界に飛びこんだ男にとって、今だけは1本ずつの内容を問う必要のないのが、200本の勲章だった。

 球宴直後、一時は打率を落としたこともあった。だが、イチロー自身が打撃内容を不安に感じることはなかった。「数字? シーズンを過ごすうちに、ぼんやりと見えてきたような気がします」。トップメジャーの技量をつぶさに見ることも、自らの血となり、肉となった。

 もちろん、戸惑いもあった。慣れない遠征先には移動用、ホテル用と2種類のまくらを持参し、スーツケースには足裏マッサージの器具を詰め込み健康管理に固執。多数の投手と対戦するうちに「200」という数字を自分の許容範囲内、または最低限のノルマとして課せるだけの手ごたえをつかんでいた。

 試合には敗れたものの、この日、イチローは全マスコミの共同会見に応じて心境を話した。自分で達成感を感じられる区切りの数字だからこそ、イチローは自ら口を開いた。「こういうペースで安打が打てたことに関して、普段からこういう形で(僕の)やりやすいように協力してくれているメディアの方に感謝しています」。メジャー1年目での200本安打。メディアを通した感謝の気持ちは、日米のファンに向けたものだったに違いない。

 ▼イチローが200安打を達成した。メジャーの200本安打は史上230人目、460度目。新人では史上15人目の快挙となる。チーム132試合目での大台到達はシーズン(162試合)245本ペース。245本で終われば歴代9位の記録。今後イチローが目指す目標はまず94年にマークした日本記録の210安打。マリナーズの球団記録の215安打、そしてメジャー新人記録の223安打か。新人記録更新は間違いなさそうだ

※記録と表記は当時のもの