レイズを戦力外となっていた松井秀喜外野手(38)が、現役を引退することが27日、分かった。<松井秀喜外野手の年表>1974年

 6月12日、父昌雄さん、母さえ子さんの次男として石川県能美郡根上町(現能美市)で誕生。体重3960グラム。1985年

 地元軟式野球チーム「根上少年野球クラブ」に入り本格的に野球を始める。1987年

 根上中入学。1988年

 根上中2年。捕手として中部日本大会で準優勝。1990年

 星稜高入学。1年ながら4番を打ち甲子園出場。1991年

 星稜高2年。夏の甲子園出場。竜ケ崎一戦で本塁打を放つ。1992年

 星稜高3年。春のセンバツ大会で3本塁打。「ゴジラ」のニックネームが付く。夏も甲子園出場。2回戦の明徳義塾戦で伝説の5打席連続敬遠。11月21日のドラフト会議で巨人、阪神、中日、ダイエーから1位指名を受け、長嶋監督が当たりくじを引き当て巨人入団。1993年

 プロ1年目。開幕は2軍で迎えたが5月に1軍昇格。1日のヤクルト戦でデビューすると翌2日、高津からプロ初本塁打を放った。1年目は11本塁打。1994年

 プロ2年目。130試合フル出場を果たしレギュラーを獲得。20本塁打を放ちリーグV、日本一に貢献。1995年

 プロ3年目。22本塁打を放ちベストナイン受賞。8月には初めて4番に座る。1996年

 プロ4年目。開幕4番。本塁打王こそ逃したが38本塁打を放ち「メークドラマ」と呼ばれた大逆転優勝に貢献。セMVPに輝く。オフの契約更改で年俸1億6000万に。1997年

 プロ5年目。4月27日の広島戦で通算100本塁打を達成。38本塁打、103打点もタイトルに一歩届かず。1998年

 プロ6年目。34本塁打、100打点で初のタイトル獲得。1999年

 プロ7年目。9月21日の広島戦で通算200号。自己最多の42本塁打。2000年

 プロ8年目。42本塁打、108打点で2冠獲得。セMVP、日本シリーズMVPを受賞し日本一に貢献。2001年

 プロ9年目。打率3割3分3厘で初の首位打者に輝く。2002年

 プロ10年目。7月9日の広島戦で通算300号本塁打。初のシーズン50本塁打を放つ。オフにFA宣言しヤンキース移籍が決定。3年総額2100万ドル。2003年

 メジャー1年目。開幕戦のブルージェイズ戦に「5番左翼」で先発出場し第1打席でタイムリー。本拠地開幕戦のツインズ戦で初本塁打(満塁弾)を放つ。163試合に出場し16本塁打、106打点、打率2割8分7厘で地区優勝に貢献。リーグ優勝も果たしたがWシリーズでマーリンズに敗れ世界一は逃す。球宴にも出場。2004年

 メジャー2年目。162試合に出場し31本塁打。108打点をマークし地区優勝に貢献。Wシリーズ出場は逃す。2005年

 メジャー3年目。162試合出場し、23本塁打、116打点、打率は初めて3割に乗せ3割5厘。地区優勝を果たすも地区シリーズでエンゼルスに敗れWシリーズ出場を逃す。オフにヤンキースと4年契約を結ぶ。2006年

 メジャー4年目。5月に左手首を骨折もシーズン終盤に復帰。地区優勝を果たすも地区シリーズで敗れWシリーズ進出ならず。2007年

 メジャー5年目。5月に日米通算2000安打を達成し名球会入り。8月にはメジャー通算100本塁打も達成した。地区優勝を逃しワイルドカードでプレーオフ出場も地区シリーズ敗退。2008年

 メジャー6年目。結婚。似顔絵を公表したが名前や写真は非公表。膝痛に悩まされ93試合の出場で9本塁打に終わる。2009年

 メジャー7年目。142試合に出場し28本塁打、90打点を挙げるなど3年ぶりの地区優勝に貢献。プレーオフも勝ち進み6年ぶりにWシリーズ進出すると第2戦で決勝本塁打、王手がかかった第6戦では先制2ランを放つなど1試合6打点の大活躍で世界一に貢献。MVPに選ばれた。しかしシーズン後、ヤンキースを退団。エンゼルスと契約した。2010年

 エンゼルス移籍。145試合に出場し21本塁打、84打点もシーズン後FAに。アスレチックスと契約。2011年

 7月のタイガース戦で日米通算500本塁打。141試合に出場も12本塁打、72打点に終わり、シーズン後FAに。2012年

 所属球団が決まらないまま開幕を迎えたが4月末にレイズとマイナー契約。5月末にメジャー昇格を果たし、昇格即本塁打を放つなどしたが、調子が上がらず7月末に戦力外となった。2012年12月27日(日本時間28日)

 現役引退