元レイズの松井秀喜外野手(38)が今季限りで現役を引退することが27日(日本時間)分かった。今日にも会見するとみられる。8月にレイズを自由契約となり、移籍先を探していたが難航。厳しい立場を自覚し、引き際を決断した。高校時代に甲子園での5打席連続敬遠で注目され、名門ヤンキースで日本人初のワールドシリーズMVPに輝き、プロ20年間で日米通算500本塁打達成など輝かしい成績を残した希代のホームラン打者。“ゴジラ伝説”が、ついに幕を閉じる。

 松井が数々の夢を実現させたバットを静かに置いた。今季終了後「時期が来れば決断する。その時、自分がどう感じるか」と去就について口にしていた。オフに入っても獲得を狙う大リーグ球団が現れない現状。昨年に続き所属先なしのまま越年となることは確実だった。そんな状況下に引き際を悟り、決断を下した。

 父昌雄さん(70)も「引退は明言されていない」としながらも、最近も連絡を取り合う息子の決意を感じ取っていた。

 昌雄さん

 今年はレイズの好意でユニホームを着させてもらい、本人も意気込んで臨んだはず。でも結果がなかなか出なかった。それをもう1年、継続してやるというのは難しい。いろいろ話す中で引退という選択肢があるのは感じていた。ちょうど日本で10年、向こうで10年やり、1つの節目を終え、そういう気持ちになっているかなと思う。

 09年にワールドシリーズMVPを獲得後、ひざの故障もあって近年は成績が降下。今年は長い“浪人生活”も味わった。初めて所属先が決まらずに開幕を迎え、4月30日にレイズとマイナー契約。5月29日のメジャー昇格直後こそ2本塁打を放ったが、その後は打率1割4分7厘、2本塁打、7打点と低迷。7月25日に戦力外通告を受けた。マイナーで再契約する選択肢もあったが、自由契約を希望してFAになった。全球団との交渉が可能になったが、獲得オファーはなかった。

 オフに入り、アストロズが獲得に興味を示した。来季からア・リーグに移転するため、指名打者を探していた。GM、監督が松井の名前を挙げて絶賛したが、獲得したのはレイズからFAの左打者ペーニャ。松井と同タイプで、ア軍入りの可能性は低くなった。日本球界からラブコールが届いたが大リーグにこだわった。昌雄さんは「日本でやる選択肢は感じられない。もちろん本人はイヤとは言わないが、状況からすると少ない」と話した。さまざまな思いを抱え、自宅のあるニューヨークでトレーニングを続けながら、自らの進退と向き合う日々を過ごしていた。

 勝負強い打撃と、松井特有の豪快な打球で輝かしい栄光を築いた。代名詞の本塁打は、日米通算20年で507本を記録。巨人、ヤンキースと王道を歩み、重圧をはねのけて結果を出し続けた。イチローとはタイプが違うパワーヒッターとして日本人メジャーで初めて認められ、一時代を築いた。何より、どこにいっても深くファンに愛された。

 そんな松井も衰えにあらがえなくなった。常々、昌雄さんに「いずれ野球選手にはそういう時が来る。いつでも覚悟している」と話していたという。ゴジラ伝説のピリオドを自ら打った。

 ◆松井秀喜(まつい・ひでき)1974年(昭49)6月12日、石川県生まれ。星稜時代は甲子園に4度出場(1年夏、2年夏、3年春夏)。高校通算60本塁打(甲子園4本)。92年ドラフト1位で巨人入団。96、00、02年セ・リーグMVP。ベストナイン8度、ゴールデングラブ賞3度。00年正力賞。03年にFAでヤンキースに移籍。09年ワールドシリーズMVP。10年はエンゼルス、11年はアスレチックス所属。12年は4月にレイズとマイナー契約を結び、5月にメジャーへ昇格した。大リーグ実働10年。186センチ、103キロ。右投げ左打ち。家族は夫人。