<ジャイアンツ6-10メッツ>◇9日(日本時間10日)◇AT&Tパーク

 歴代50人目の和製メジャーが誕生した。ジャイアンツ傘下3Aフレズノの田中賢介外野手(32=前日本ハム)がメジャー初昇格を果たし、地元ファンの前で喝采を浴びた。合流即ホームでのメッツ戦に「2番左翼」で先発出場し、5回にメジャー初安打。四球で出塁した7回には初得点を記録し、2度の同点をもたらした。守備でも本塁打性の飛球をつかむ好守を披露。送球難で「内野手失格」の苦汁を味わったが、外野手転向から3週間足らずで、メジャーの扉を開けた。

 ファインプレーで幕開けした。0-0の2回2死走者なし、田中が大飛球を追って一直線に背走し、ドンピシャのタイミングで跳んだ。フェンスに激突しても本塁打性の一打をグラブから離さず、2度ガッツポーズしてベンチに戻った。救われた先発ジトが「ワクワクするようなデビュー戦だったね」と絶賛した、急造外野手の超美技だった。

 「第1打席は緊張したが、それからは落ち着いてやれた」と体をほぐすと、打席でも快音を響かせた。5回無死一塁、2ストライクからメ軍右腕ジーの88マイル(約142キロ)真ん中高め速球を中前に運んだ。総立ちの拍手となった観衆の前で、「すごくうれしかった。これがメジャーなんだなと」とヘルメットを脱いで一礼した。続く7回は先頭打者で四球。いずれも田中の打席をきっかけに、チームは同点に追いついた。

 チャンスは突然、訪れた。昨季世界一のジ軍はけが人が続出し、6月25日から借金生活。7月は7試合で総得点13という状況に、ボウチー監督は「打線にSpark(活気)が欲しい」と、3Aでリーグ打率6位の田中を緊急昇格させた。

 早朝に連絡を受けた田中は、フレズノから車で3時間半かけて合流。喜びに浸る間もなく、元オールスター外野手のケリー一塁コーチによる「特守」に励んだ。本拠地は右翼が入り江に面し、打球は強い海風を受ける。また左中間が深く、ボンズも守った左翼は広い守備範囲を要求される。即席レッスンで特徴を把握し、本番に臨んだ。

 日本では、二塁手として5度のゴールデングラブ賞に輝いた実績は忘れた。オープン戦は7失策で開幕メジャーを逃し、3Aでも55試合で15失策。大半が送球エラーによるもので、6月20日から本格的な外野守備を始めた。日本では7試合守っただけで、まだ1軍で駆け出しの06年までの出来事。田中も「(昇格は)ないと思っていた」と諦めたほどだが、元同僚のDeNA森本にアドバイスを求め、3Aの出場9試合で感覚をつかんだ。村上雅則氏の初登板から50年目にジ軍の後輩が、同氏と同じ背番号「37」でデビュー。「最初で最後のチャンス」と気合を入れて、日本人メジャー50人目に名を刻んだ。

 ◆田中賢介(たなか・けんすけ)1981年(昭56)5月20日生まれ。福岡県出身。東福岡から99年ドラフト2位で日本ハム入団。内野手として活躍、日本通算1079試合、1052安打、39本塁打、325打点、161盗塁、打率2割8分6厘。176センチ、78キロ。右投げ左打ち。