【ニューヨーク28日(日本時間29日未明)=四竃衛、水次祥子】ヤンキース、巨人などで活躍し、昨季限りで現役を引退した松井秀喜氏(39)が、ヤ軍と1日契約を結び、引退セレモニーを行った。2003年から7年間、慣れ親しんだヤンキースタジアムの土を踏み、始球式では地元ファンから大声援を受けた。今後の処遇については未定だが、近い将来の現場復帰へ向けて、新たな区切りともいえる1日となった。

 ヤンキースタジアムに松井氏が帰ってきた。レイズ戦の試合前。両親、兄も見守る中、上半身だけ背番号55のユニホームを着て、捕手スチュアート相手にノーバウンドで投げ込んだ。「僕が一番憧れた場所。今日の一瞬は、生涯忘れることのできない瞬間になると思います」との言葉通り、思いをかみしめるように思い出の地を踏み締めた。故障者リストからの復帰戦となったジーター、イチローと同じフィールドで思い出を刻み込んだ。

 ヤ軍が他球団で現役を終えた選手の功績をたたえる引退式典を行うのは異例。現役時代の背番号と同じ、今季55試合目のホームゲームでセレモニーが用意された。電光掲示板には現役時代の映像が流された。来場者にはバブルヘッド人形が配られ、スタンドには「55」のTシャツを着たファンが駆け付けた。

 長いヤ軍の歴史の中でも珍しい1日契約と引退セレモニー。松井氏が自ら望んだわけではなかったが、両国の懸け橋となった同氏の功労に報いようとするヤ軍側からの打診を断る理由もなかった。会見場で正式にサインを交わしたキャッシュマンGMは「彼は本当のプロフェッショナル。1日契約をして、彼がヤンキースの一員として引退することを大変うれしく思う」と笑みを浮かべて話した

 20年間のプロ生活で、ヤ軍での7年間は忘れることのできない時間の連続だった。当時のトーリ監督には指導者としてだけでなく、人間としての奥深さを学んだ。主将ジーターには本物のリーダー像、リベラやポサダからは常に前向きな姿勢の大切さを教えられた。「彼らの全盛期に一緒にプレーできたことは本当にラッキーだと思います。その中から、将来、何人が殿堂入りするか、というぐらいすばらしい選手ばかり。僕にとっては宝物のような時間でした」。異なる文化、環境に飛び込んだ戸惑いを感じながらも、常に敬意を払ってくれるヤ軍のチームスタイル、ポリシーがこのうえなく誇らしく、心地よかった。

 そんな最高の環境でプレーした経験を、今後日米両球界へ恩返しする気持ちは、日に日に高まってきた。その役割を自分に課せられた責任と言い切る。

 現時点で今後の予定は決めていない。ただ、5月5日に長嶋茂雄氏とともに日本のファンに引退を報告し、この日はニューヨークでも区切りを付けた。来季以降、松井氏が新たなスタートを切るための環境は、着実に整いつつある。