<ワールドシリーズ:フィリーズ4-3レイズ>◇第5戦(サスペンデッドゲーム=6回裏から再開)◇29日(日本時間30日)◇シチズンズバンクパーク

 【フィラデルフィア(米ペンシルベニア州)】フィリーズがレイズを4勝1敗で下し、1980年以来28年ぶり2回目の世界一に輝いた。降雨中断した27日以来、46時間ぶりに6回裏から再開した第5戦は、フィリーズが7回裏に勝ち越し、4-3の1点差で逃げ切った。「赤鬼」チャーリー・マニエル監督(64)は、Wシリーズ初采配で初制覇となった。レイズ岩村明憲内野手(29)は内野安打、美技など攻守に勝利への執念を見せたが、あと1歩届かなかった。

 グラウンド上で感激に浸る選手の姿を見つめながら、マニエル監督は天上から見守ってくれた母のことを思い起こしていた。ナ・リーグの優勝決定シリーズ第2戦が行われた10日、ジェーンさんが87歳の生涯を閉じた。それでも、1試合も欠かすことなく、采配を振るい続けた。「きっと母は叫びながら笑っているはず。そして、私がいかにいいチーム、スタッフを持ったかを、明日、ブエナビスタ(ウェストバージニア州の故郷)の街中を歩き回って言いふらすだろうね」。深い悲しみを経た末につかんだ栄冠だった。

 27日の試合が降雨のため2-2のまま打ち切りとなり、46時間後に6回裏から再スタートする変則試合。マニエル監督の起用が、いきなり的中した。9番投手ハメルズの代打に送ったジェンキンズが、右中間二塁打で出塁。1点を勝ち越し、流れを呼び込んだ。同点に追い付かれた7回裏1死三塁では、7番フェリスに代打を送らず、決勝点につなげた。相手投手との相性を、冷静に読んだ末の起用だった。

 就任4年目。豊富な練習量が、若いチームの才能を引き出した。その基盤となる野球観は、ヤクルト、近鉄でプレーした日本時代に培った。76年、来日した直後は、戸惑いばかりの毎日だった。「管理野球」で知られるヤクルト広岡達朗監督のもと、米国では経験したことのない練習をこなした。あまりの練習づけに、当時の大ヒット曲「およげ、たいやき君」のメロディーをもじって、「毎日、毎日、ボクらは練習で」と替え歌を歌った。それも貴重な経験だった。「日本では練習の大切さを学んだよ」。

 選手の起用法も、日本的だった。スタメン選手は、年間を通してほぼ固定。近年のメジャーでは珍しく「9人野球」を基本にした。「本当に我慢強い。選手を我慢して使ってきたし、監督の性格でチームを引っ張ってましたね」。田口が尊敬するように、確かな理念と魅力的な人柄で個性豊かなチームを1つに束ねた。

 Wシリーズ初采配で初制覇。本拠地ではポストシーズン無傷の7連勝でしめくくった。「最後のアウトを取って、ファンや選手達の姿を見て、終わったことが分かったよ」。赤鬼の目に涙はなかった。【四竈衛】