早大のエース左腕、大竹耕太郎投手(2年=済々黌)が涙のリーグ戦初完封で、12年春以来6季ぶり44度目の優勝を飾った。慶大打線を5回まで無安打に抑え、9回を3安打1四球8奪三振の好投で今季4勝目。慶大を破り、前鳴門渦潮(徳島)監督の高橋広監督(60)は就任1年目で母校を法大と並ぶ優勝回数トップへ導いた。スタンドは3万4000人の超満員だった。早大は、大学日本一を懸けて全日本大学野球選手権(6月8日開幕、神宮)に出場する。

 ぬぐっても、あふれる涙を止められなかった。9回2死。大竹が114球目のチェンジアップを投じ、慶大・谷田を中飛に打ち取った。万歳をしながら道端捕手と抱き合ったが、笑顔は一瞬だった。「涙もろくて。1戦目を任されるプレッシャーは大きかった。一段落して安堵(あんど)の気持ちです」。胴上げは表彰式後にお預けとなったが、両親の見守る前で優勝投手になった。

 3季連続で優勝のかかった早慶戦を戦い、やっと勝てた。最速140キロの真っすぐに、球威を微妙に変化させた2種類のカーブとチェンジアップ、スライダーを織り交ぜ5回まで慶大打線を無安打に抑えた。「いいバッターはより警戒しないといけない」と谷田、横尾のドラフト候補コンビを完璧に封じ込んだ。

 今日の活躍は、あの日から決まっていた。1月6日の始動日。大竹はブルペンに入った。「あの悔しさを忘れてはいけないと思い、オフを返上して練習しました。初日も100球以上投げたと思います」。昨秋の早慶2回戦で先発し1回3失点でマウンドを降りた。日本ハム1位の有原航平投手(22)がけがで戦列を離れ「エース代役」として奮闘したが、要の試合で役に立てずベンチ裏で泣いた。

 自室の壁には当時のスコアを貼り、戒めた。「疲れていても(スコアを)見たら練習しようと思えました」。尊敬する有原のサインと部訓、生活面も律するべく「やるべきことリスト」も張り出した。ブルペンにも週2から5回入り、ヤクルト石川の著書を参考に、対戦相手を具体的にイメージし投げ続けた。

 就任初年度の高橋監督は4年生を中心にしたチームを作り上げたが、「1月6日に大竹がブルペンで1人で投げていたのを見て『大竹は活躍するんだな』と思った。主軸として頑張ってくれました」と小雨のあの日を振り返った。早慶戦4度目の登板でリーグ戦初完封。流した涙の分、大竹は強くなり真のエースとなった。【和田美保】

 ◆大竹耕太郎(おおたけ・こうたろう)1995年(平7)6月29日、熊本市生まれ。小4で投手として野球を始める。託麻中では3年時に全国大会出場。済々黌では1年夏から背番号10でベンチ入り。1年秋からエースで、2年夏と3年春に甲子園出場。182センチ、72キロ。左投げ左打ち。家族は両親と姉。血液型A。