あのノーヒットノーランは、その後の長い野球人生にどんな意味がありましたか? ソフトバンク工藤公康監督(52)は、その問いかけにあまり乗ってこなかった。「自分よりすごいヤツはいっぱいいたし、それができたとしても、だから何? と思っているところはあった」。ノーヒッターは投手の名誉ある称号で、誰もがやってみたい記録だと思う。しかし指揮官は素っ気なかった。

 プロ入り後、工藤監督は1安打完投を複数回、記録している。ノーヒットノーランに近づいた試合もあった。ダイエーが福岡移転後、初優勝した99年。9月11日の近鉄戦だった。8回2死まで無安打。快挙まであと4人。打者は鈴木貴久。カウント3-1で、捕手の城島がマウンドに来た。「歩かせましょう。次のバッターで勝負しましょう。ノーヒットノーラン、チャレンジしましょうよ」。女房役の言葉を、ピシャリと返した。

 「おれはノーヒットノーランをするために、マウンドに上がってるんじゃない。勝つために上がっているんだ。今日の試合、これで勝てるんだから。いいから、座ってろ」

 続く5球目に左翼スタンドに運ばれた。結局、このソロ本塁打の1安打だけ。

 「打たれた瞬間、城島はガックリしていたよ。おれは別に何も思わずに投げていた。とにかく勝つことで、ダイエーを勝てるチームにしたいとずっと思っていた」

 四球で走者を出すことを嫌い、勝負を選んだ。快挙達成よりも、勝利を望んでいた。

 「プロだったら、ノーヒットノーランはすごいよ。でも、できる人はできるし、できない人はできない。欲を持ったから、できる訳じゃない」

 おそらく欲を出せば、工藤監督ならできただろう。チームに何が必要かを植えつけるための真っ向勝負だった。ノーヒットノーランを巡るドラマがそこにあった。【田口真一郎】