阪神中村勝広GMが23日、都内のチーム宿舎で急死した。66歳だった。チームは優勝争いのまっただ中で、巨人戦(東京ドーム)を戦っているなかでの悲報。チームに衝撃が走った。

 ◆中村勝広(なかむら・かつひろ)1949年(昭24)6月6日、千葉県生まれ。成東から早大。主将を務め、4年秋のリーグでベストナイン。71年のドラフト2位で阪神入団。主に二塁手として11年間で通算939試合に出場し、打率2割4分6厘、76本塁打、219打点。引退後は2軍監督を経て1軍監督を6年務めた。92年には亀山、新庄らの活躍で低迷していたチームをV争いへ導いた。オリックスのGM、監督を経験し、12年9月から阪神GMに就任した。

 ◆亀新フィーバー 92年に阪神はヤクルトと優勝争いし、最終的に2位で6年ぶりにAクラス入りした。85年の日本一以降、6年間で最下位4度と低迷し180万人台に落ち込んでいた主催試合の入場者数も85年を上回る285万人と激増した。チームを率いたのが中村監督。浮上の立役者となったのが、5年目亀山努と3年目新庄剛志の若手コンビだった。ヘッドスライディングがトレードマークの亀山と強肩堅守と長打力のある打撃が武器の新庄は一躍スターとなった。

現役時代の打撃フォーム

阪神時代の打撃フォーム(写真は1979年、甲子園球場)
阪神時代の打撃フォーム(写真は1979年、甲子園球場)

低迷する球団の再建を託される

村山実前監督(左)とともに阪神監督就任会見を行った。中央は久万俊二郎オーナー(写真は1989年10月)
村山実前監督(左)とともに阪神監督就任会見を行った。中央は久万俊二郎オーナー(写真は1989年10月)

新入団の桧山らと

1991年12月、阪神新入団選手発表に臨む。前列左から、弓長起浩、萩原誠、中村勝広監督、久慈照嘉、桧山進次郎
1991年12月、阪神新入団選手発表に臨む。前列左から、弓長起浩、萩原誠、中村勝広監督、久慈照嘉、桧山進次郎

亀山、新庄を積極的に登用しフィーバー起こす

甲子園での巨人戦でサヨナラ安打の亀山努(中央)を出迎える(写真は1992年5月)
甲子園での巨人戦でサヨナラ安打の亀山努(中央)を出迎える(写真は1992年5月)
甲子園での中日戦でサヨナラ打を放った新庄剛志(中央)を出迎える(写真は1993年10月)
甲子園での中日戦でサヨナラ打を放った新庄剛志(中央)を出迎える(写真は1993年10月)

4球団競合となった松井獲得はならず

ドラフト会議で松井秀喜の交渉権獲得にサムアップポーズを見せる長嶋茂雄監督(左端)の隣で…。右から中日の中山了球団社長、ダイエーの根本陸夫監督(写真は1992年11月)
ドラフト会議で松井秀喜の交渉権獲得にサムアップポーズを見せる長嶋茂雄監督(左端)の隣で…。右から中日の中山了球団社長、ダイエーの根本陸夫監督(写真は1992年11月)

練習中に笑顔を見せる

練習中に笑顔を見せる(写真は1995年4月)
練習中に笑顔を見せる(写真は1995年4月)

オリックスGMとしても活躍

オリックスGMとして野球教室に講師として出演(写真は2003年12月)
オリックスGMとして野球教室に講師として出演(写真は2003年12月)

故仰木彬監督の後任としてオリックス監督に就任

オリックス監督就任会見で、故仰木彬監督の遺言を明らかにし涙ぐむ(写真は05年12月)
オリックス監督就任会見で、故仰木彬監督の遺言を明らかにし涙ぐむ(写真は05年12月)