2015年も多くの選手が球界に別れを告げた。「さよならプロ野球」で新たな人生を歩み出した元選手を紹介する。

 救援登板を生き甲斐にした献身の男は、仲間のためにと第2の人生を選んだ。

 楽天の梅津智弘投手(32)は、16年から1軍サブマネジャーに転身する。「これからは僕ではなく、選手が目立つように陰からチームを回していきたいですね」。11年に及んだプロ生活に区切りをつけた。

 他球団へ活路を求める道もあった。楽天からサブマネジャー職のオファーが届いたのは、戦力外通告を受けた10月2日からほどなくした頃。葛藤はあった。「今年の登板は1試合でも、ここ数年で初めて右肩が痛くなかったんです。まだやれるという気持ちがあった」。その一方で、申し出を受けるべきと考える自分もいた。14年に広島を戦力外となり、育成で楽天へ移籍。「選手で貢献できなかった在籍1年の自分に、仕事をくれるなんて」。感謝の念が決断を迷わせた。

 新たな道への挑戦。仲間の言葉が背中を押してくれた。国学院大の2年後輩にあたる嶋をはじめ、金刃、枡田、岡島らが「楽天で一緒にやりましょう」と引き留めてきた。球団からも誠意ある言葉を伝えられた。

 「みんなが必要としてくれた。僕はリリーフとして、勝ちだけでなく負け試合でも投げてきました。たとえ敗戦処理でも梅津を求めてくれることがうれしくて、常に精いっぱい務めた。だから選手ではなくても、必要とされるところでやろうと思えたんです」。

 12月18日。サブマネジャー梅津は紺色のオーダースーツで身を正し、茶色の皮バッグを大切に抱えて初出勤の日を迎えた。スーツは岡島から、バッグは枡田から贈られた転職祝いだった。「似合いますか? 初出勤はこの格好と決めてました」。ここ数年、嶋に送る年賀状には「最後はお前に投げて終わりたい」と書いてきたが、今年は「優勝しような」と添えた。「この仲間とビールかけがしたい。裏方として、喜んで発注しますよ」。新たな目標ができた。【松本岳志】

 ◆梅津智弘(うめつ・ともひろ)1983年(昭58)3月3日生まれ、山形・上山市出身。上山明新館-国学院大を経て04年ドラフト6位で広島に入団。08年には64試合21ホールド、防御率2・62の成績を残した。現役最終戦となった今季の登板では、配送の関係でユニホームが間に合わず、レイの「12」を借りた。191センチ、91キロ、右投げ右打ち。